|
これでも池田大作を信ずるか -- 創価学会の友に訴える --
第一章 信じ難い現実
内容改変
( 不可解なカット )
自分の都合でクルクルと猫の日のように変わる池田会長の指導は、池田会長を盲信していた私達創価学会員がなにも感じないでいても、外部の人達には、かなり明確にその矛盾をとらえられているらしい。私の知る範囲でも、数人の評論家、ルポライターが鋭い指摘をしている。
厚顔な池田会長や創価学会幹部にも、これらの指摘は応えるらしい。そのためと思われるのだが、現在の池田会長や創価学会にとって、都合が悪いような発言が記載されている創価学会系出版物は、ほとんどが絶版となり入手困難になっている。また、その種の出版物が再版されるときは、内容の都合の悪い部分をカットしたり、大幅に改変している。
たとえば、現在入手困難になっている「折伏教典」に代るものとされている「創価学会入門」(聖教新聞社発行)の、内容改変部分を見てみよう。(略)
これを見てわかることは、「国立戒壇」否定、「正本堂本門戒壇」説、正本堂完成による「三大秘法成就説」などに関して述べられた部分が、主としてカットされていることである。
「創価学会入門」は昭和四十五年五月三日発行。引用した第八刷は同年六月十二日、カットされている第十六刷は同年八月二十日の発行になっている。
昭和四十五年といえば、言論弾圧・出版妨害への非難攻撃が年初から吹き荒れ、五月三日の創価学会第三十三回総会で、池田会長が“国立戒壇否定”
“政経分離”などを打ち出し、一応世間に“お詫び”の意を表した年である。また、この総会に先き立って四月二十三日、政府からの照会に対して、正式に「国立戒壇」否定の回答書を提出している。“国立戒壇否定”と“政経分離”を、組織内外に宣伝するのに大わらわだった時期である。
こんなときに、なぜ“国立戒壇否定”を述べた部分をカットしたのであろうか。また政府への回答書に明記した“正本堂即本門戒壇”について述べた部分をカットしたのであろうか、考えてみれば不思議なことである。
いろいろ調べてみると、どうやらこれが不可解なカットをした原因ではないか、と思われる事実が浮かんできた。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
)
下山氏がいう 「引用した第八刷は同年六月十二日、カットされている第十六刷は同年八月二十日の発行になっている」とは、わずか二ヶ月あまりの間に以下のような文語が「創価学会入門」から削除されていた、という指摘でありました。
はじめに、『まず「王法仏法に冥じ仏法王法に合して」とは、一言でいえば、王仏冥合であり、一国の政治と、真実の仏法がマッチすることです。つまり、仏法の絶対平和、生命の尊厳、慈悲の理念・精神が強制ではなく、またナマの形ではなく、深い人間性として最も自然に発露していくものなのです。また「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて」とは、広宣流布を意味します。「王臣一同」とは、現代的にいえば、あらゆる階層の人々が平等の立場でということです。仏法の広宣流布は、上から権力でなされるものではありません』 という言葉が、削除されたのでした。
続いて、『すでに日本国では、津々浦々に、正法をたもつ人が充満し、実質の広宣流布の段階に入ったということができます。「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を未法濁悪の未来に移さん時」とは、本門戒壇建立の世相を意味するのです。有徳王とは、今日、偉大な理念をもった指導者の意であり、創価学会の社会的実践がそれです。創価学会は、社会人によって構成されているからです。決して、国王という固定したものではなく、主権在民の現在、民衆こそ王であり、無冠の王であります。覚徳比丘とは、正法を伝持する日蓮正宗の立ち場であり、いかなる権力にも屈せず、妥協せず、法の清浄をたもつことです。まさに、日蓮正宗と創価学会の僧俗一体の実践が「有徳王・覚徳比丘」の方程式にかなっていることになるでありましょう』 と。これも、削除されたことでした。
さらに、『 「勅宣並に御教書を申し下して」とは、大聖人の時代においては、「勅宣」とは、天皇の勅許であり、「御教書」とは、幕府の公文書です。大聖人の仏法は、民衆の秘法であり、民衆の幸福だけが目的です。しかし、当時は、幕府専制の時代であり、権力者に妙法をたもたせなくては、民衆の幸福につながらなかったのです。したがって広布の実証としての戒壇建立には、必然的に勅宣および御教書が要請されたのです。しかし現代は、すでに述べたように主権在民であり、「勅宣」も「御教書」も、民衆の要望というように置き換えて読むべきなのです。
かつて、戸田前会長も、この「勅宣並に御教書」を逐語的に解釈し、「国立戒壇」という表現をしたこともありました。しかし一方では、この戒壇は建て物に意味があるのではなく、民衆じたいが信仰を持つことの必然的な結果であるとしていたのです。
したがって、表現は「国立であっても、内容は、全く民衆立の意であったのです。このことを、誤解のないように、現在では国立戒壇という表現は使わず、元来の言葉である「本門の戒壇」と表現しております。国立というと、どうしても国家権力と結びつくように思われます。しかし大聖人の仏法は、たんに一国の宗教という狭量のものではなく、次に「三国並に一閻浮提の人」とあるごとく、全世界の仏法です』 なるこの文章も、下山氏の指摘のように削除されました。
そして、『「霊山浄土に似たらん最勝の地」とは、現在の富士大石寺の地であるといえましょう。背後に大日蓮華山といわれる富士山をひかえ、前に広々とした平野をもち、はるかに駿河湾をのぞんで、清浄にして広大な地であり、まさしく「最勝の地」にふさわしいものです』 もまた、削除されたのでありました。
さらに 『この文から考えれば、勅宣および御教書ということも、決して仏法を国教にするものではなく、日本民衆の総意として、戒壇を建立し、世界平和に寄与しようとするものであったといえましょう。しかし、現在、この勅宣および御教書は必要ではなくなりました』 なる言明も、また削除されたことでありました。
この昭和四十五年のわずか二ヶ月あまりの間における「創価学会入門」の「不可解なカットの事態」が何を物語っているのか、下山氏の指摘に着目すべきでありましょう。
(
平成十四年五月二十九日、櫻川 記 )
戻る 次
|
|
|