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これでも池田大作を信ずるか -- 創価学会の友に訴える --
第二章 同門、妙信講の主張
正本堂に関するその他の主張
( 御遺命守護は創価学会員にも重要な使命 )
(略) 正本堂が事の戒壇ではないという主張から、妙信講の人達は、さらに注目すべき主張の展開をしている。
“かつての創価学会は、国立戒壇建立のために政界に進出した。ところが最近になってからは、むしろ政権獲得の方が目的になってしまったようである。政権が目的となれば、信心のない者の歓心も買わなけれはならず、必然的に呵責謗法を忘れ謗法同座も敢えてするようになってしまった。
遂には恐るべく悲しむべくことに、日蓮大聖人御遺命の法義たる国立戒壇建立を否定し去る大謗法まで犯した。国立戒壇主張が選挙に際して不利であるという、世論への阿諛からである。謗法との妥協も、ひとえに選挙運動のためである。かつ、仏法守護を口にしながら、法を説くべきご僧侶までも選挙の集票に走らせる有様である。会員の純粋な信心を利用して、すでに広宣流布とは本質的に無関係な政治活動に狂奔させている。
このような権力志向は、もはや日蓮正宗とは無縁のものである。いたずらな宗門利用をやめ、正直に「創価学会宗」または「池田大作宗」でも開宗すべきではないか。また、創価学会をこのような方向に指導している池田大作創価学会会長こそ、「外に賢善をあらわし内に貪嫉をいだく」悪の根源である。ひそかに自らが末法現代の本仏であるかのように学会員を指導し、大聖人の法体流布をも自らに比べて摂受と下す悪鬼入其身の現代における良観房である。
純真な会員に正本堂を事の戒壇と偽わって血の滲む浄財を集め、しかもこれを「これだけ成功できたのは私の福運」とうそぶく。しかも正本堂完工式には謗法をふくむ内外の有名人を自分の名で招待し、自らの名を挙げることに利用する。かつ、世界広布をいつの間にか平和外交と変え、各国の有名人を訪れて中身のない交歓をくりかえし、ひたすら自己宣伝に腐心するのはいかなる野望によるものか。私的な動機はさておくも、これらを時のつごうで日蓮正宗の名においてするのは許し難い。
許し難いのはさらに、経済的圧力を中心に宗門を支配し、宗門七百余年清浄の歴史を汚していることである。仏法の破壊者池由大作を宗門から追放し、偽善者池田大作を社会から追放し、仏法違背により国を傾ける国賊池田大作を日本から追放すべきである。
これらの極言は、いたずらに私的な怨嫉によるものではない。日蓮大聖人の御遺命に違背し重大教義を歪曲し、数回の諌訴をうけても省みないのみか、逆に政治的陰謀をもって応える無慚さに、もはや駈遺せざれば仏法中怨となるのを恐れて、敢えて暴言をも顧みないのである”という趣旨の主張である。
ただしここに書いた文章は、妙信講の人達の主張を取意して、私が書いた文章である。用語が乱暴だし文章もひどいが、それに囚われずに、主張の内容を汲み取っていただきたい。
同門である妙信講の人達は、日蓮大聖人の御遺命守護のためといい、御金言や歴代猊下の御文を挙げながら、宗門僧俗に呼びかけている。御遺命守護は、同じ日蓮正宗信徒として、私達創価学会員にとっても重要な使命である。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
)
下山氏が取意して紹介した「妙信講の人達の主張」は、たしかにその通りでありました。この主張の大半は、すでに昭和四十六年の「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」で述べられたもので、池田会長の仏法の破壊者としての姿を完膚なきまでに明らかにしたことでありました。
こんにちようやく宗門は、池田会長を宗門から追放し・誑惑の正本堂を破壊したことでしたが、未だ御遺命歪曲の誑惑に加担したことの懺悔なく、未だ国立戒壇の御遺命を隠し続けること、「仏法中怨」の責を免れないことでありましょう。
御遺命守護なくして、御遺命成就もなし。下山氏の「御遺命守護は、同じ日蓮正宗信徒として、私達創価学会員にとっても重要な使命」との重い言葉、創価学会員から発せられたことを忘れてはならないことでしょう。
(
平成十四年六月十一日、櫻川 記 )
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