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     甦るか創価学会 --- 広宣流布路線への提言 ---

   序文

 「広宣流布」は日蓮大聖人の悲願であり、我々にとっては至上命令である。
 宗祖日蓮の残した六十一年の生涯の足跡は、彼の激しい活動の数々、膨大な著書、すべてが「広宣流布」のためのものであった。

 「広宣流布」の思想、方途等は膨大な著書(通称御書)に残されているが、これが七百年間、ほとんど眠り続けて来た。
 宗祖日蓮の思想からすれば、広宣流布の瑞相として、前代未聞の大闘諍があるはずであったが、近年、幸か、不幸か、日本が第二次大戦の大敗北という激動を経験した時、「
有歴以来、日本人として最も悲しむべきこの大惨状こそ、広宣流布の大瑞相として立ち上らねばならない」と、広宣流布の時を言い当てたのは、ほかならぬ創価学会二代会長戸田城聖氏であった。(略)

 昭和二十六年といえば、日本人はまだまだ戦争の痛手から立ち直ってはいない。戦争によって何百万の人々が、親や子供を失ない、住む家、職業を奪われた。神と信じていた天皇は、私達となんら変りない人間であって、不滅のはずの神州は、敵国の軍靴の思うがままであった。
 日本人は精神的支柱を失ない、日本そのものが、国家としての方向を見失なっていた。このような時に登場したのが、仏法によって、一人一人の人間の幸福と、国家の平安が成就されるという「広宣流布」という理想である。

 生活苦や病で悩む者、日本の国家にまだ愛書を持つ者にとって、広宣流布という理想は何というあたたかさと勇気や希望を持たせる言葉であったろうか。「日本の広宣流布のために頑張ろう」これだけの言葉で我々は充分に涙を流す事が出来た。
 そして、二十年の歳月が過ぎた。今、「日本の広宣流布のために頑張ろう」という創価学会員もいなければ、この言葉によって涙を流す学会員もいない。

 広宣流布という宗祖日蓮の究極の目的を語れなくなった創価学会は、一つの過渡期を迎えている。膨大な組織を持つ創価学会の過渡期とは、また日蓮正宗全体の大きな曲り角でもある。
 真に広宣流布を思う者は、現在の状態がこれでいいのか、また、未来をどうすればよいのか、広宣流布の現実と未来とを考えなければならない。したがって、この書は従来のような創価学会の批判のための批判書ではない。

 「広宣流布」という宗祖日蓮の悲願と至上命令が、このままでよいのか、今後どうすればよいのか、それを問いかけ、考えてゆきたい。(略)



 ※ 日蓮という文字の中に 仏の義が含まれている。本又中 大聖人の敬称を使わなかったのはそのためだけではないが、私達は心より日蓮大聖人を信仰するものである。
 この拙著が恐れるものがあるとすれば、それは日蓮大聖人様の御心であり、この拙著がほめられてよろこぶことがあれば、それも唯一つ、日蓮大聖人様の御心のみである。

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