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甦るか創価学会 --- 広宣流布路線への提言 ---
第一部 広宣流布への提言
日蓮の平和思想(四)
● 国立戒壇と妙信講
(社会体制や時代の変化に迎合してはならない)
もし、池田前会長、御書のどこにもないというなら、国立戒壇という言葉は政治の変化によって生れた俗的産物である。
時代の俗的産物を無批判に入れてしまった 権力への迎合をあらわすものとして、まず国立戒壇を否定をする前に、なんらかの反省があって然るべきであろう。
国立戒壇が現在少々都合が悪いから、それをひっこめ、民衆立が正しいと主張し、やがて日本に政治の変化があり、社会主義社会にでもなれば、民衆立戒壇などあり得ず、すぐまた国立が復活するであろう。(略)
大石寺、創価学会と妙信講の二年半にわたる法廷闘争が終りかける時、創価学会の桐ヶ谷弁護士が、妙信講浅井理事長に、「浅井さん、どんなに国立戒壇が仮りに正しいとしても、現憲法下では国立戒壇は不可能ではありませんか」と問うと、
「何を言うんです、日本の憲法は誰れが作ったものです。人間が作ったものに完全なものはありません。広宣流布の時が来れば
それに合うように憲法を改正すればよいのです」と答えたとの事である。
国立戒壇の是非はともかくとして、日蓮の思想が 社会体制や時代の変化に、いちいち迎合するような変わり方をしてはならないのは 確かである。
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
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