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     甦るか創価学会 --- 広宣流布路線への提言 ---

 第一部 広宣流布への提言
   日蓮の平和思想(四)
      ● 全人類の戒壇堂へ

   (
本門戒壇と正本堂

 正本堂が三大秘法総在の本門の戒壇、あるいは広宣流布完成の戒壇と教えこまれ、その為 保険を解約してまで御供養をした。
 それが 正本堂落慶式の十日程前、聖教新聞に和泉覚氏(当時理事長)は 「正本堂の完成は広宜流布の達成ではない。第一歩である」(S47・10・3)と発表したのである。

 全く当り前のことであるが、前宣伝が宣伝であっただけに なんともしまらない正本堂落慶の幕開けとなってしまった。当り前のことをわざわざ言わなくてはならないことは、前宣伝がそれだけ誇大吹聴であったということである。
 だが教学小辞典等、昭和四十年前後に印刷された学会の出版物に 「
正本堂は事実上 本門戒壇の完成」と書いて、それを取り消す作業はしていないから、池田氏を信ずる学会員にとって、マスコミに攻撃されて否定したのは単なるポーズなのか、和泉覚氏あたりに正本堂建立即広宣流布ではない と言わせた事がほんとうなのか、決断されずにいる。

 さて、日蓮は佐建流罪中に 富木常忍という信者に手紙を与えた。「
日蓮死生不定たりと雖も 妙法蓮華経の五字の流布は疑いなきものか、伝教大師の御本意の円宗を日本に弘めんとす、但し定慧は存生に之を弘め、円戒は死後に之を顕す 事法為る故に一重大難これあるか
 伝教大師は弘仁九年三月、戒壇建立を上奏したが容れられず、却って南都六宗の僧からごうごうたる批難があがった.伝教は顕戒論三巻を著わし論破したが、戒壇に関してはなんの結論のないまま、弘仁十三年六月四日入寂した。天皇は深く哀悼をたれ死後一週間の後 大乗戒壇建立の勅許を下した。

 この文は、このような伝教大師最澄の事実をふまえて、定(本門の本尊)と慧(本門の題目)は 日蓮存生の時これを流布出来ても、本門の戒壇は伝教と同じように、日蓮の死後に建立されるということになろう。本門戒壇建立は 一朝一夕に出来るものではない。必ず大難が待ち構えていよう。その難を越えて戒壇を建立せよという、祖師日蓮本仏の至上命令がここにある。
 まさに 「
此の経を持たん人は 難に値うべしと心得て持つなり」(此経難事抄)である。だが創価学会に難があれば、組織に傷がつくより、“池田大作”に傷がつくということなのであろう。難を呼び起こす信心とは遠く離れ 極度に難を恐れる集団と化し、この至上命令には不都合の組織となってしまった。
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