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盗聴犯罪の動機をみずから暴露
会見で発表
渡部講演問題の真実は、七〇年一月十一日、東京・日大講堂で二万人を集めて開かれた創価学会学生部幹部会での渡部講演(演説)の全文を、文化人らによる「言論・出敬の自由にかんする懇談会」が記老会見(同二月二十三日)で発表したのです。
「赤旗」は翌二月二十四日付一面で、その記者会見記事を報道、三面で発表された演説全文を掲載したに過ぎません。
記者会見の発表だからこそ、他の週刊誌でも報じられたと判決ものべているのです。
そして、渡部氏が国対委員長を辞任したのは、講演内容があまりにひどい開き直り(別項)で、世論の激しい批判をあびたための自業自得、当然の成り行きでした。
しかも、二万人もが集まった集会での演説を、仮に参加者が録音し、テープをおおやけにしたとしても、それは電話盗聴とはおよそ性格が違います。
それを、学会側が“共産党の盗聴でやられた”からなどと弁解すること自体、いいがかりであり、判決も認めるように「言論出版妨害で厳しい批判を行った共産党に村し」「報復」というみにくい動機が浮かびあがってきます。
今回、創価学会がまたしてもこのような卑劣なデマ宣伝で弁解・反撃に出てきたことは、みずからの民主主義破壊、謀略体質を二重、三重に社会にさらけ出したものといえます。(Y)
( 「赤旗」、一九五年四日二十七日
)
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
もういちど小田晋氏の、「人はなぜ幻覚するのか」から、あのオウム真理教の<反社会的特質>をピックアップして、創価学会の民主主義破壊、謀略体質のやり口と比較してみましょう。
一つは、「どんなに悪いことをしても、けっして自分が悪いとは言わない」で、批判者に対してはむしろ非難や弾圧や殺害等の逆ねじを喰わすという行動が見られること。
二つには、自分たちがやった反社会的行動を「他人がやったことだ」と、米軍機まで持ち出して他者に投射・責任転嫁する行動でありました。
創価学会・池田大作会長の振る舞いは、これにあまりにズバリとあてはまることでした。
言論弾圧とその揉み消し工作が発覚しても、しらじらと公党の委員長・書記長が「事実無根」とうそぶき、後の「東京地裁判決」に対しても機関紙上で<判決批判・攻撃キャンペーン>を展開する等、悪いことをしてそれが発覚して(たとえ・裁判所で判決が下って)も、どこまでも「推論に過ぎない」などとしらを切って自ら非を認めず、かえって批判者に対して「うすバカども」だの「気が違っている」だのと、非難や誹謗等の逆ねじを喰わす行為。
まさに、オウム真理教と同じパターンでありました。現在でも、宗門や阿部管長に対する聞くに耐えない罵詈雑言が一日として聖教紙上で絶えることはなく、この体質はまったく変わっていないことでした。
そしてまた、池田会長(当時)以下・創価学会首脳が自ら指示した、「盗聴」や「謀略」等の<反社会的行為>等のすべてを、山崎副理事長や北条副会長(当時)ら個人に押しつけて、「一部・個人が勝手やったことだ」としらを切って酷く使い捨てるパターンも、また同様でありました。かの「池田先生への帰依」を説いて全国をまわった、福島源次郎副会長にしてもまた。
麻原教祖による、児戯・無謀な「オウム神聖国家」樹立テロの危機は幸いにして間一髪免れましたが、二十一世紀初頭の国家存亡の大切な時期に、今日のように創価学会と同根の公明党が政権の中枢にあって池田名誉会長による見えざる国政関与が続くこの国の不祥・不運。その代償はあまりに大きいことでしょうが、これもまた時のしからしむるところなのでありましょう。
(
平成十四年一月十九日、櫻川 記 )
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