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創価学会が新たな口コミ弁明
世論の糾弾を学会・公明党へ
仮に「北条関与」が認定されなかったとしても、学会の責任は免れません。
判決にもある通り、実行犯の山崎、広野、竹岡らは当時、同会学生部の大幹部であり、事件を学会に打ち明けた後も重用され、山崎は学会「総務」に、竹岡は「副男子部長」にまで抜てきされています。
しかも、山崎、竹岡らは「学会ないし北条から資金等の提供を受け」宗門や他宗教などへも盗聴・スパイ活動をくり返していました。
たとえば警察官の犯罪などでさえ、「上部の指示」など何らなくとも、組織の責任者は、事実が明らかになった段階で関係者を処分し、判決を待たずに国民に謝罪するのがふつうです。
まして、上層部が犯罪の一部であっても事前に知ったり、了解していたとなれば、最高幹部の進退すら問題になりかねません。
それなのに、人に「仏の道」を説く宗教団体が、一審判決が下されてもなお、被害者、国民に謝罪するどころか事実さえ認めようとせず、この居直りぶり。“一体不二”の公明党に至っては、いぜん「われ関せず」の態度をとり続けています。
この厚顔無恥ぶりを改めさせ、創価学会・公明党に反省をうながすには、世論の厳しい糾弾がいまこそ不可欠です。(洋)
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
赤旗紙が指摘するように、仮に「北条関与」が認定されなかったとしても、学会の責任は免れないことは、世の常識でありましょう。
創価学会はこの裁判において、故・北条会長が妙信講に対する盗聴の指示をしたこと・妙信講への盗聴行為の事実があったことを自ら認め(よって、裁判所も認定)たことであって、それだけでも創価学会の社会的責任は免れないことでありました。
組織の責任者たる者ならば、トップの関与の有無の事情にかかわらず、自らの組織の犯罪や不祥事の事実が明らかになった段階で関係者を処分し、被害者をはじめ世間に対しても謝罪するのがふつうでありましょう。
しかして創価学会は、そうした世の常識が通用しないきわめて強い「謀略性」「暴力性」「反社会性」を一貫して持ち続けている教団組織であることは、こうして裁判所の判決が下されてもなお被害者をよそおい、「北条一族の問題」などと問題をすり替え・矮小化するという「厚顔無恥」な居直りを見せたことでも、あきらかでありましょう。
ここで、共産党はセオリー通りに 「創価学会・公明党に反省をうながすには、世論の厳しい糾弾がいまこそ不可欠」と指摘するのですが、残念ながらそうしてどれほど強く激く世論が糾弾しても創価学会には有効ではないことは、今日までの歴史が証明しています。
個々の創価学会員自身が、池田名誉会長の俗物性に気付き、そのカリスマ性への洗脳から解放されない限り、池田名誉会長と創価学会は安泰であり続けることでしょう。
そして、その厚い壁をついに突き崩すのは、御遺命を守護し奉った顕正会をおいて、他にはないことでありましょう。
(
平成十四年一月二十四日、櫻川 記 )
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