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権力者の心理学
第一章 指導者の心理学
5 権力、財力が「父と子」を狂わせる
父親を乗りこえるということ
(略)現代でも、政界人や財界人のように、父親のパーソナリティが強烈で、存在感も大きいような場合、古典的なエディプス状況が生じる傾向が強いのであろう。
そして、父親がエネルギッシュであり、家庭が複雑になっている場合、葛藤はより深刻になる。(略)
父親が個性が強く、横暴で、反面偉大であればあるほど、息子は父に反感をつのらせる。しかし、偉大で強い父親に対立しても勝ちめはないので、息子たちは、この反感を抑圧する。この抑圧されてコンプレックスとなった父親への憎悪は形を変えて、神経症となることもあり、犯罪や非行の原因になることもある。
偉大な父親の息子に 放蕩者や無軌道者がしばしば出るのは、この仕組みによるのであり、精神分析的には、彼らは父親に対する強い反感、時には殺意を抑圧することに失敗して罪悪感を抱き、むしろ自己処罰のために放蕩者や酒乱者となる。
これほど破滅的でない場合、息子は、偉大な父親に反感を隠しもちながら、これと同一化し、自分も個性の強い指導者となる。その場合、父親を乗りこえようとする意欲が無意識に彼らを駆りたてている。つまり、コンプレックスは、神経症の原因にも、芸術的創造の契殊にも、経営上のイニシアティブの動因にもなりうる。
そして、かつて「原父殺害」を行った息子たちのように、ジュニアのまわりには同年輩の側近が集まる。問題は、神経症の場合と同様、息子たちは無意識の動因に動かされているので、そこに無理や背伸びや状況判断の過ちや、とくに年長の人たちへの無用な冷酷さが生じやすいことであろう。
偉大な父親が息子の一世代を通じて元気であり、息子が反抗の気配を示すことさえ許さない場合、息子は一世代にわたって抑圧を続け、無気カな人物か、あるいは律義な優等生として過ごすほかはなくなる。
この場合「偉大な父親」である指導者のイメージは、むしろ一代飛んで、孫によって同一化され、引きつがれることになる。孫には、多くの場合祖父は甘く、孫は息子ほどの恐れをもたずに、この「偉大な族長」に接することができるからである。
( 句読・改行等、便のため当サイトにて添加 )
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