「巌虎独白」ブログのコメント欄で、大沢克日子氏が「戒壇建立へのプロセス」を紹介されたところ、現役顕正会員の”会員”氏から「広宣流布のプロセスに間違いがある」との指摘があった。
そこで会員氏に、どこが間違っているのかを尋ねて、しばし対論を重ねた。
顕正会員の、典型的な思考パターンがよく表れているので、その始終をここに転載する。
2018/4/15 17:08 投稿者:大沢克日子
「
これら日顕上人の御指南に示される戒壇建立へのプロセスを以下に概括して述べておく。
一、御遺命の戒壇の建立は、未来における一国広布の時を待つべきこと
二、そこに至る過程には、国中の謗法を折伏するが故の一重の大難が起きるであろうこと
三、その後、国主はじめ一国の大衆が正法に帰依する(広宣流布が成就する)こと
四、しかして、国主から戒壇建立を発願する意志表示がなされ、はじめて事相の上に戒壇が建立される
ちなみに、第六十六世日達上人の御代における御指南や発表の中には、是が非でも正本堂を御遺命の戒壇であることにしたい池田創価学会と、これに激しく反対して日蓮正宗宗門にまで反発しつつあった元妙信講(後の顕正会)とが宗内にあったため、この両者をそれぞれに慰撫教導する意味が含まれていた。文々句々にのみ拘泥する人々は、その大所高所からの慈悲の教導が解らず、かえって正義に迷ってしまった事例も出た(その典型が浅井昭衛である)。
しかし、今や学会も顕正会も共に宗内にはなく、正本堂も平成十年に解体されて姿を消した以上、これに関する慰撫教導の必要も一切なくなった。
そうして第六十七世日顕上人が示された、右のような戒壇建立への御教示は、まさに誤解・曲解の入り込む余地なき日蓮正宗宗門の真意であるといえるであろう。
一分の心ある顕正会員には、ぜひこれを知って、“日蓮正宗は御遺命を曲げたりしていない”という事実を領解してもらいたいものだ。そして、一日も早い捨邪帰正がなされるよう、心より念願する次第である。」(誰にでもわかる顕正会の誤り/むすびにかえて/平成二十年/慧妙編集室編)
2018/4/16 20:34 投稿者:会員
仏法史上大悪人の最後の生き残り日顕には信心がない。広宣流布のプロセスに間違いがある。
正しきは、上は天皇より下全国万民に至るまで3大秘法を信じた時、勅宣と御教書という国家意志の表明の2重の厳格な手続きで、富士山天生原に国立戒壇が建立される。
細井と阿部を除く歴代上人は皆、国立戒壇を明確に言いきっています。国立戒壇という名称を使わなくても意味は同じ。
56代日応上人「
御五百歳中広宣流布の金言虚しからずんば、上一人より下万民に至るまで此の大法を持ち奉る時節あり。此れを事の広宣流布という。其の時、天皇陛下より勅宣を賜り、富士山の麓に天母ヶ原と申すこうこうたる勝地あり、ここに本門戒壇建立あって…」戒壇建立、時期、手続き、場所は明確に示されている。
これが、御本仏の御遺命を、そのまま清らかに伝えた本宗伝統の法義である。大聖人の弟子なら、本門戒壇=国立戒壇を一国に主張すべきである。
3大秘法の本門の戒壇だけ、わかりにくい言い方で、はっきり断言しない阿部は大聖人の一代御化導を水泡にさせる仏法破壊の大悪人ではないか。
浅井先生は宗門には僧侶は一人もいなくなった。禿人が大石寺を占領した。また、阿部追放と言っています。
諸天は国立戒壇の精神を砕いた阿部を許しません。
2018/4/18 3:08 投稿者:櫻川 忠
会員さん。
〈
広宣流布のプロセスに間違いがある〉とのことですが、「戒壇建立へのプロセス」を熟読しましたか ?
〈
正しきは、上は天皇より下全国万民に至るまで3大秘法を信じた時〉とは、
一、御遺命の戒壇の建立は、未来における一国広布の時を待つべきこと
二、そこに至る過程には、国中の謗法を折伏するが故の一重の大難が起きるであろうこと
三、その後、国主はじめ一国の大衆が正法に帰依する(広宣流布が成就する)こと
と同意ですね。
〈
勅宣と御教書という国家意志の表明の2重の厳格な手続きで、富士山天生原に国立戒壇が建立される〉とは、
四、しかして、国主から戒壇建立を発願する意志表示がなされ、はじめて事相の上に戒壇が建立される
と同意でしょう。
会員さんが主張するように、〈
国立戒壇という名称を使わなくても意味は同じ〉です。
一国広布(国主・一国の大衆が正法に帰依)し、国主から戒壇建立を発願する意志表示がなされるというプロセス(時期、手続き、場所)において、どこにどのような微細な「間違い」を会員さんは見出したのでしょうか ?
2018/4/18 10:21 投稿者:トチロ~
wow!
櫻川さんが降臨してきた…。
凄いことになりそう…。楽しみです。勉強させて頂きます。
ここで逃げたら私の勉強にならないから、「会員さんがんばれ!」
投稿者:マイケル 2018/4/18 13:43
ググッてみたら・・書籍も出版されている方なんですね。
多分、法華講の方なんでしょうけど、ここまでソフトな語り口の方は初めてだなぁ。
僕も、楽しみにしています。
投稿者:トチロ~
マイケルさんへ
櫻川さんは実際のお姿も文面通りの紳士な方です。
あくまでも中立的な立場で物事を御覧になる方なので、あのような発言になったかと思いますが、法華講員かどうかは分かりません。
2018/4/19 19:23 投稿者:会員
櫻川氏へ
同意はしません。言い方を変えます。
「
国主から戒壇を発願する意志表示がなされ」この言い方がタバカリです。
本門戒壇=国立戒壇の国教を一国に掲げて折伏しなければ、日本一同が信ずる広宣流布の暁に、仏法を守護し奉るという国家意志の表明を手続として、富士山天生原に建立される国立戒壇が実現しない。
国教を掲げず折伏した場合、いつ日本国中が信じる時がくるのかわからないではないか。
国教を掲げるからこそ、「
日本国一時に信ずることあるべし」が起こるのです。
また、国中の謗法を折伏する故の一重の大難に対しての覚悟を感じません。つまり殺害されても大聖人を信じぬく気概を感じない。最悪を想定しないと、つたなき者のならいは…、で退転しますよ。
具体的に金属バッドや鉄パイプでメッタ打ちにあったり、刃物でメッタ刺しにあったり、想定してください。大聖人様は「
射る矢は雨の如し、打つ太刀は稲妻の如し」と仰せです。凡夫は仏様と違い殺害されてもおかしくない。ゆえに「
生死の縛を切って仏果を遂げしめ給え」の覚悟が必要です。
悪人日顕の言葉には覚悟も広宣流布の気概も仏法の有難さも感じない。一重の大難が起こると言い切るなら、国教を掲げればよいでしょう。
そもそも、前代未聞の大闘じょうは、謗法から起こる。この悲惨をお救いくださるのは諸天に申し付ける絶大威徳と大慈悲まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
「
諸人皆死して無間地獄に堕ちること雨の如くしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を助け、万民は難を逃れん」と。
この大御本尊様を全日本人が恋慕渇仰して南無妙法蓮華経と唱え奉れば、難を逃れることが出来ると断言されてます。
また「
日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
この重大な仰せを、国教を掲げて歓喜と功徳に満ち、全日本人に伝えているのは顕正会だけです。旧式携帯なのでタグで誘導してもダメです。
2018/4/20 1:59 投稿者:櫻川 忠
会員氏へ。
「戒壇建立へのプロセス」について、返答をいただき嬉しく思います。
その故は、(一)テーマに真摯に向き合って回答したこと、(二)引用や他者に頼らずご自身で思索したこと、(三)顕正会員として戒壇建立への気概に満ちていること、です。
さて、「戒壇建立へのプロセス」 一 ~ 三 の「広宣流布」については異義なしとして、議論を進めましょう。
会員氏が同意できないとした点は、プロセス・四「
国主から戒壇を発願する意志表示がなされ」の「
言い方がタバカリ」だ、ということでした。
会員氏の論点は、二つありますね。一つは「国教」という概念、二つには「国家意志表明の手続」についてでした。
「覚悟」については、プロセスのテーマから外れるので、ここでは置きましょう。
(一)「国教」について
迹門の戒壇建立について大聖人は「
日本の仏法唯一門なり。王法も二に非ず。法定まり国清めり」( 四信五品抄)と仰せですね。
このときいまだ南都の諸宗は健在だし、空海の真言も勃興しつつありました。しかして月氏・震旦になき「大乗戒壇建立」の意義は大きく、「
日本の仏法唯一門」「
法定まり国清めり」とは「国教」に相当することでしょう。
今日・現代においても、たとえばイギリスでは歴史的に王立国教会がまさに国教とされているが、信教の自由は保証されています。「国教」とは、個人の信仰を縛るものではありません。
その上で、一国同帰して本門戒壇が建立されれば、結果として法華本門・三大秘法が「国教」として位置付けられるでしょう。
2018/4/20 2:00 投稿者:櫻川 忠
(続きです)
(二)「国家意志表明の手続」について
会員氏がタバカリと指摘した、プロセス四の「
国主から戒壇を発願する意志表示がなされ」とは、すでに三の「
国主はじめ一国の大衆が正法に帰依」、が前提とされています。
ここで国主と一国の大衆とが、明確に立て分けられていますね。
かつては、「
主権在民・国民主権だから〈国主とは民衆〉」とか、「
王臣一同=民衆一同」(「基礎教学書 384頁)などと混迷した宗門ですが、日本国において過去も現在も「民」ではない「国主」とは名字も戸籍もない「皇室」にほかなりません。
「
一国の大衆が正法に帰依」した上で「
国主から戒壇を発願する意志表示」がなされるということ、それは紛れもない「国家意志の表明」に他ならず、必ず「勅宣・御教書」に相当する合法的な手続きがとられることでしょう。
以上、大沢克日子氏が紹介された「戒壇建立へのプロセス」は、会員氏が述べた〈
正しきは、上は天皇より下全国万民に至るまで3大秘法を信じた時〉、〈
勅宣と御教書という国家意志の表明の2重の厳格な
手続きで、富士山天生原に国立戒壇が建立される〉の条件を、そのまま満たしているのではないでしょうか?
2018/4/20 8:38 投稿者:大沢克日子
櫻川さん、会員さん
横から失礼します。
私見ですが、櫻川さんの「(一)「国教」について」には同意します。
>
今日・現代においても、たとえばイギリスでは歴史的に王立国教会がまさに国教とされているが、信教の自由は保証されています。「国教」とは、個人の信仰を縛るものではありません。
その上で、一国同帰して本門戒壇が建立されれば、結果として法華本門・三大秘法が「国教」として位置付けられるでしょう。
2018/4/21 7:44 投稿者:会員
櫻川氏へ
まず私は9割前後引用です。
国教とは辞書には「
国民が信奉すべきものとして、国家が特に保護している宗教」とあります。辞書により書き方は異なる。その点では、今も昔も国教の意味は同じでしょう。
櫻川氏は仏法は実践法だという事を知らない。「
修行に摂折あり、摂受の時折伏を行ずるも非なり、折伏の時摂受を行ずるも失なり、然るに今の世は摂受の時か折伏の時か、先ず是を知るべし」
釈迦仏法の利益を及ぶ正像二千年間は摂受であり、それ以後の末法というじたは折伏でなければいけない。
末法における成仏の正法は三大秘法だけである。
しゃく門の戒壇を例にとり、国教の意味を言うのは良いが、謗法同座または謗法容認と解釈出来る書き方は外道悪人と同じ。
天台、伝教はいつ、諸宗は無徳道堕地獄の根源。南無妙法蓮華経のみ成仏の法なりと言ったのでしょうか? 自行化他に渡りて南無妙法蓮華経は末法の修行です。
日蓮大聖人の仏法は、観心本尊抄の送状に「
設い他見に及ぶとも、座を並べて之を読むことなかれ」と戒められている。そして、三大秘法抄では「
一見の後は秘して他見あるべからず、口外も詮なし」と更に厳しく戒められている。
それは、本門戒壇の法門が一般門下の理解を遥に越える甚深の法義であり、国家レベルにおいて一切の邪法を捨てて三大秘法を受持する事が大難事だからである。
ゆえに「
戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘法の法を持ちて有徳王、覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並べに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて建立すべきものか。…」
これを、そのまま信じなくてはいけないのです。細井、阿部を除く歴代上人は御書に手を加えていないのです。
大聖人の仏法を一国で信じると、仮にアメリカ、ロシア、中国が一斉に日本を攻撃しても全てを沈める力があるのです。個人においては、防非止悪させる力があるのです。仏国実現には、諸宗を完全に撲滅しなければならない。大難事なんです。
雑学的に仏法を学んではいけない。本門の本尊、戒壇、題目は信じて歓喜するもので、議論するものではない。
頭割れますよ。
2018/4/22 2:04 投稿者:櫻川 忠
会員氏へ。
「頭割れますよ」とのご忠告、有り難うございます。(^^)
「雑学」云々と云うことなので、「教学」について触れておきましょう。
「
教学をおざなりにしては、広宣流布は夢物語となる」(「冨士」第百十三号)とは浅井昭衛先生の言葉です。
また、「
教学は…広宣流布へのひたぶるなる熱意を培うものであります。教学なき折伏は行き詰る」(「冨士」第四号)と。
その故は、日寛上人が説かれるように「
信有って行学無ければ信堅からず、行学を去るの信は縁に遇っては便ち退す」からです。
それ故、かつて浅井先生は妙信講教学部をして「
日本第一の教学部」たれと、御遺命守護の激闘の中でも御書講義を絶やすことがありませんでした。
しかし、その「日本第一」たるべき教学部はすでになく、したがって「
広宣流布は夢物語」となりました。
さて、「戒壇建立へのプロセス」についてはもう、異論・反論がないようですね。
2018/4/22 21:43 投稿者:大沢克日子
櫻川さん、会員さん 横から失礼します。
櫻川さんと会員さんの対話を邪魔するつもりはありませんので、直接対話を進めていただく前提でコメントします。
>
それは、本門戒壇の法門が一般門下の理解を遥に越える甚深の法義であり、国家レベルにおいて一切の邪法を捨てて三大秘法を受持する事が大難事だからである。
だからこそ、浅井会長のいう「国民投票・憲法改正」のプロセスによる国教化は、会員氏の危惧する「謗法与同・同座」の危険性がかえって高まるはずです。
何故なら、国民投票・憲法改正は多数派の意見が認められたに過ぎないのであり、仮に国民投票・憲法改正により国教化を達成したとしても、未だ大聖人の仏ほを持たない謗法の徒が数千万人存しているのです。
>
「一国の大衆が正法に帰依」した上で「国主から戒壇を発願する意志表示」がなされるということ、それは紛れもない「国家意志の表明」に他ならず、必ず「勅宣・御教書」に相当する合法的な手続きがとられることでしょう。
多数決による国民投票、憲法改正ということよりも、櫻川さんの主張の方が「謗法同座・与同」の危険性は少なくなるはずです。
私たち凡夫には十界が存します。
大変失礼ながら、広布前夜でも、もしかすると巌虎さんはまわりの人々が帰伏しても「入信するのならば、最後の一人で入信したい」などと最後の最後まで宣言して無所属信徒を貫くかもしれません。
そして、広宣流布以降も私たち全てが信心強盛な聖人になるのではなく、入信した後もその信心には差異があるのかもしれません。
更に言えば、日本国内に布教が進んでも、世界にはなお邪宗が蔓延り、更に折伏弘教の戦いを進めるのかもしれません。
顕正会員がこれから数年の布教で終わりになると考えているのであれば、甘いと言わざるを得ないと思います。
私たちの戦いは生涯続くはずです。そして、私たちの子孫も引き継いでいくのかもしれませんね。
2018/4/24 1:27 投稿者:会員
櫻川氏と大沢氏へ
まず、教学は必要です。広宣流布は夢物語ではありません。丁度、顕正会では北関東ビデオ放映が始まります。
3月21日群馬アリーナで熱烈感涙の中に開催されました。大雪の中で北関東圏の方々が1万人以上が結集して、張り詰めた空気、高まる緊張の中で大功徳の感動、大聖人の御心に叶う信心、赤誠、大情熱に満ちた決意、そして最後に浅井先生による重大講演。先生の獅子吼に全員魂を激しく揺さぶられ、万雷の如き大拍手は大会場に響き渡りました。
浅井先生は「
広告文と遥拝勤行で広宣流布は出来る。私は、大聖人様がこの道を教えて下さったのであると、深く拝している。これこそ広宣流布最終段階の戦いの姿である」
「
この大潮流は、やがて五百万、一千万、三千万、六千万となり、ついには一国をも動かす。そして恋慕渇仰の唱題一国に満つる時、これこそ国立戒壇建立への『熱願』ではないか。戒壇の大御本尊様に国立戒壇への御出ましを願う『唯願説之』ではないか。かくて一国の総意が『勅宣並びに御教書』という国家意志となって顕われ、いよいよ御遺命の本門戒壇が、富士山に建立されるのである」
北関東大会に限らず顕正会の大会は教学の具現化をしています。夢物語という心配には及ばない。
浅井先生の講演には謗法容認の危険性はない。恋慕渇仰の唱題一国に満つる時、と言っています。
これは「
諸人皆死して無間地獄に堕ちること雨の如くしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を助け、万民は難をのがれん」で「
日本国一時に信じることあるべし」だからです。
どれほどの頑固な人でも恋慕渇仰して唱題します。客観情勢が謗法を許しません。
日本が仏国となれば、漢土月氏と流布していきます。世界流布は日本流布より簡単らしいです。
巌虎氏個人の広宣流布はもう近い。そんな感じします。
広宣流布を数百年伸ばしてたら地球が持たない。経済崩壊、戦争は待ってはくれない。末法濁悪が増し続けてます。一刻も早く仏国を実現しなければ国は滅びてしまう。顕正会で正しき仏法をやりましょう。
戒壇のプロセスと言いながら、タバカリ戒壇論にすりかえた阿部は仏法破壊の元凶です。
2018/4/24 23:12 投稿者:櫻川 忠
会員氏へ。
「教学は必要」ということで、会員氏と意見の一致をみました。
ちなみに、わたしの手元に「認証状」があります。「
教学部二級部員たることを認証する 昭和五七年二月十日 日蓮正宗妙信講 講頭 浅井昭衛」と記されています。
浅井先生から数々の重要御書・六巻抄等の講義を受けた者として、「一念信解」路線の〈教学不在〉は残念なことです。
さて「戒壇建立のプロセス」ですが、第十四回総会で先生が「
もし妙信講が憎いとならば、潰したらよい。しかし正義だけは取り入れて頂きたい」と述べた時、わたしはその場に居ました。そして「御遺命の戒壇の正義」が、宗門に蘇ることを願いました。
「
大聖人の御理想とせられる本門戒壇がいかなる規模を持つものか … 時来らざる以前の宗門や一部民衆の手で立てられるべき性質のものではない。これは何も国家の予算とか財政とかいう金銭上の問題を云っているのではありません。大切なのは一国の絶対帰依、いのちがけの信心によって立てられるべき戒壇が本門事の戒壇であるということであります。かくして始めて国家そのものの祈りとなるのではありませんか」
「
若し妙信講の云わんとしている事が仏法の道理に照らして正しいならば、法の為・国の為虚心に取り入れて頂きたいと私は心から念願する。また若し、云っている事は正しいが妙信講は憎いとならば、遠慮なく妙信講をつぶし抹殺したらよい。但しこの云わんとする正しい道理だけは断じて取り入れて頂きたい、さもなければ国が持たない」(「冨士」第八十二号)
戒壇義について宗門に紆余曲折がありましたが、妙信講員が熱願した「正義」はついに「戒壇建立のプロセス」に帰結しました。
一、御遺命の戒壇の建立は、未来における一国広布の時を待つべきこと
二、そこに至る過程には、国中の謗法を折伏するが故の一重の大難が起きるであろうこと
三、その後、国主はじめ一国の大衆が正法に帰依する(広宣流布が成就する)こと
四、しかして、国主から戒壇建立を発願する意志表示がなされ、はじめて事相の上に戒壇が建立される
これを否定する者は、浅井先生に背く者となりましょう。会員氏は、いかがでしょうか?
2018/4/27 2:06 投稿者:会員
櫻川氏へ
教学は命がけの信心があって活きるのです。命がけの信心とは、例えば、平サエモンが目の前にいて「早く念仏唱えろよ」と言ってグズグズしてたら至近距離から弓矢を放ちます。射抜かれたら痛いです。何発も発射されたら死にます。それでも捨てない信心です。頭真っ白だと思います。
浅井先生は、大聖人様は身が凍る佐渡で御書をお書きになられた。と言ってます。只今臨終にありの思いで南無妙法蓮華経と唱えなくてはいけません。
諸人が雨のように死んでいく時、死ぬのが怖くて教学がなくても南無妙法蓮華経と唱えたものが生き残る。それで大聖人様の大恩徳と絶大威力を実感して、日本国一時に信じることがあるのです。
プロセスについて
過程があるから戒壇が建立するのではなく、戒壇建立が絶対だから、一国に国教を掲げて大恩徳と絶大威力を教えていくんです。
細井は国立戒壇永久放棄をして急死。阿部は国立戒壇を掲げず目的をぼかしている。
つまり、国立戒壇永久放棄を継承しているのと変わらない。一国に誤解を与えてはいけない。王法仏法合し冥じ、勅宣並びに御教書で国立戒壇建立を宣言しないと、一国に掲げたことにはならない。
浅井先生と阿部が同じことを言っているかは、多くの人に聞けば違うという答えが自然とわかりますよ。
2018/4/28 2:18 投稿者:櫻川 忠
会員氏へ。
現在の顕正会の「一念信解路線の教学不在」という指摘については、特に反論はないようですね。(^^)
さて、「プロセス」という表現はたしかに過程という意味を含みますが「
本門戒壇建立の必要条件」と、理解して下さい。「過程があるから戒壇が建立する」とは、誰も主張していないのです。
会員氏は「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」(富士第百三十九号)を、読んだことがあるでしょうか。
当時、池田大作会長の権勢・威徳は凄まじく、宗門では「
今こそ事の戒壇建立の時」「
事の戒壇は民衆立」「
勅宣並びに御教書は建築許可証」等の惑義がまかり通っていたとき、妙信講だけが講中の命運を賭して異義を申し立て「正義」を糺し訴えたのでした。
その「正義」とは、
一、事の戒壇は事の広宣流布の暁を待って立てられる。
一、事の戒壇は国立戒壇である。
一、事の戒壇は本化聖天子の発願に依る。
ということでした。
池田大作氏の野望は、ついに妙信講の諌訴によって砕かれ、宗門は今や「戒壇建立条件」として、
一、御遺命の戒壇の建立は、未来における一国広布の時を待つべきこと
二、そこに至る過程には、国中の謗法を折伏するが故の一重の大難が起きるであろうこと
三、その後、国主はじめ一国の大衆が正法に帰依する(広宣流布が成就する)こと
四、しかして、国主から戒壇建立を発願する意志表示がなされ、はじめて事相の上に戒壇が建立される
と、かつての惑義を撤回し妙信講が糺し訴えた「正義」と異ならない「本門戒壇建立の必要条件」の表明に至りました。
この「戒壇建立の必要条件」について、会員氏からの論理的な反論はないようですね。
「
多くの人に聞けば違うという答えが自然とわかりますよ」は、そのまま会員氏にお返ししましょう。
<糺し訴う>の「正義」と「戒壇建立の必要条件」は、多くの人に聞けば論理的に「同値」だと認められることでしょう。
会員氏の筋違いの反論は、「国教を掲げ」や「国立戒壇を掲げず目的をぼかしている」ということでしかありません。
「掲げる」とか「ぼかす」とか、それは「方法」「やり方」の問題であって、「戒壇建立の必要条件」とは別のことです。
2018/4/28 7:36 投稿者:トチロ~
>
<糺し訴う>の「正義」と「戒壇建立の必要条件」は、多くの人に聞けば論理的に「同値」だと認められることでしょう。
まったくその通りだと思います。実際に私が顕正会を辞めて日蓮正宗に移る決心をしたのは、この一点を明確に感じ取ったがゆえでした。
2018/4/28 8:38 投稿者:マイケル
>
戒壇建立の必要条件
でもまだ、「広宣流布」という十分条件を満たしていないんですよねぇ。
ですから戒壇建立云々よりも、如何にして広宣流布を達成するかのほうが、重要な気もするんだよなぁ~。
2018/4/28 13:53 投稿者:会員
櫻川氏へ
浅井先生と阿部が同じ発言なら、浅井先生達はとっくに仲良くしてますよ。
宗門の人間には信心がない。一念信解無くして成仏叶わない。
教学不在?
失礼だけど、宗門信徒と思われる晃氏は広宣流布は終わってるとか、自称日目上人の再誕らしいです。
宗門では各自言ってる事バラバラです。
宗門には変な人が1人いますね。亡国の坂道という人。この人は、浅井先生の指導を引用し1人国立戒壇を主張して、坊主の事は、悪坊主、馬鹿坊主、日顕追放と書いています。宗の内外問わず国立戒壇を否定する、または宣言しない人をぶった斬る宗門の変な人です。
この人によれば、宗門には功徳が無くなった。折伏する覇気も無くなった。等、嘆いています。つまり、日蓮正宗の教学は雑学でしかない。そういう意味なんです。
異体同心しなければ広宣流布はない。顕正会では、目的が統一されています。
櫻川氏は広宣流布をしようとする気がない。時を待つという意味を、誰かがやってくれるのを待つ。そんな感じですよね?
修業である以上、やらないと意味がない。ガンガンやればよい。大悪起こして大善を待てばよい。仏弟子なら、大悪起これば大善来る、これが嬉しく感じる。
大聖人様は、臆病者は地獄に堕ちると言ってるんだから、信心鍛えないとヤバいよ
2018/4/28 17:17 投稿者:櫻川 忠
会員氏へ。
当初からわたしは、「
国主はじめ一国の大衆が正法に帰依し、国主から戒壇建立の発願がなされるという『本門戒壇建立の必要条件』において、どこにどのような微細な違いを会員氏は見い出したのでしょうか?」、という問いを続けてきました。
そして、妙信講が糺し訴えた「御遺命の戒壇の正義」と宗門の「戒壇建立の必要条件」は、内容に違いがないことを論じて来ました。
他の人が何を云っているとか、それはどうでもいいのです。会員氏ご自身の考えで、「違う」というのなら「
どこがどう違う」のかを指摘してほしいのです。「違い」が見い出せないということは、「同じ」ということでしょう。
しかし、会員氏としては何が何でも「同じ」とは認めたくない、のですね。そのことが、よく分かりました。
議論にお付き合いいただき、会員氏には有難うございました。
コメント欄をお借りし、厳虎さんにもお礼申し上げます。
2018/4/28 20:06 投稿者:大沢克日子
櫻川さん、会員さん
2018/4/28 13:53の会員さんのコメントは「残念」なものですね。
>
しかし、会員氏としては何が何でも「同じ」とは認めたくない、のですね。そのことが、よく分かりました。
「会員さんが」というよりも、浅井会長が何が何でも「同じ」と認めたくないのでしょう。
本来ならば日顕上人が御遺命の戒壇につき、過去の反とともに改めて御示しになり、その後正本堂から戒壇の大御本尊様が還御遊ばされた時点で、元妙信講のいう「正義」は蘇ったのですから、その時点で顕正会の存在意義は失われたのではないでしょうか。
本来は大御本尊の御許に一結して法華講員として広宣流布に向け戦うべきところ、顕正会員を大御本尊様から遠ざけている浅井会長の罪は極めて重大です。
後継者が思うように育たない。現役会員たちの頭に城衛さんの姿が浮かばない。
やはりそうなる理由はあるのでしょう。
2018/4/28 20:56 投稿者:トチロ~
マイケルさんへ
>
でもまだ、「広宣流布」という十分条件を満たしていないんですよねぇ。ですから戒壇建立云々よりも、如何にして広宣流布を達成するかのほうが、重要な気もするんだよなぁ~。
まさに仰る通りでして、現在の御法主上人になられてから「戒壇建立」の御指南は一切無いんです。(もしあったらご免なさい。)
これは御宗門が御遺命の戒壇を捨てたという訳ではなく、単に「戒壇建立」を叫ぶ以前の問題だ…。ということに他ならないのだと思います。
そこまでの認識の無い方々は「
猊下が戒壇建立と言わないから、大聖人様の御遺命は広宣流布なのだ!」と短絡的に主張する姿もまま見られますが、本質的なところはマイケルさんの仰る「
それを論じる段階にも達してないでしよ?」ということなのだと思います。
2018/4/28 22:09 投稿者:マイケル
トチロ~さん レス、有難うございます。
もしご存知でしたら、是非お教え下さい。
会員氏は、
>
大悪起こして大善を待てばよい。仏弟子なら、大悪起これば大善来る、これが嬉しく感じる。
浅井先生、及び顕正会にこれまで大難が起こった事ってあるんですか?
2018/4/28 22:36 投稿者:会員
櫻川氏へ
偽りの笑顔が崩れましたね。目を怒らし牙を立ててこそ「あらうれしや」でしょ。
私がもし、プロセスに同意したらどうなるの?
大悪起これば大善来るという大きな意味においては戒壇は建立されるでしょう。
しかしながら、只、南無妙法蓮華経と唱えても助からない。命がけで信じないとね。命がけで信じられない人の為に、諸人が雨の如くバンバン死んでいく事態が起こる。最もゆゆしき事でしょう。戒壇建立は安穏な世界で実現しない。命がけの話だから、日蓮正宗の雑学戒壇論は無間地獄に直結すると言ってるの。
この程度の事で、偽りの笑顔が崩れる生命力なら臨終成功する訳ないでしょう。臆病は無下の人人。救われる道理がない。
バンバン折伏して大悪起こして信心掴んで、死体が山の時代が到来しても、信心の歓喜で乗り越えていかないとダメなんです。
広宣流布が眼中にないから議論の為の議論を好む。仏弟子が被害妄想抱くわけない。被害妄想が強いのは折伏してないから。
立宗から700年間、大石寺信徒が法難で被害妄想抱いた人いますか?
大悪起これば痛みが伴うのは当たり前。
広宣流布を実現させようと思うなら、政府への欺瞞回答撤回し、新たに訓諭を出せばよい。
「
日本一同が信ずる広宣流布の暁に、仏法を守護し奉るという国家意志の表明を手続きとして、富士山天生原に建立される国立戒壇」と。
浅井先生と阿部が同じ発言なら言えますよね。
あげあし取っても一国に対し立正しないなら、五人の流儀と同じ。天台沙門阿部日顕だ。
いや、浅井先生は阿部を魔の眷属と断言してるから、魔の眷属阿部です。
2018/4/28 23:09 投稿者:大沢克日子
櫻川さん、会員さん
再び横から失礼します。
大聖人様は一重の大難と仰せです。
先の大戦の惨禍を経て、僅か二十余年の間に宗史未曾有の一千万信徒と言われるまでの折伏を敢行した。これは主力となった日蓮正宗創価学会の功績です。
将来の広宣流布に至るまでの一重の大難といえば、我々の想像を遥かに超える未曾有の大難なのでしょう。
浅井会長の語る「御遺命守護の戦い」も、「茶の子の朝茶の子」(森鴎外・阿部一族)のレベルなのでしょうから、顕正会の今の有り様を見れば、元妙信講は将来の「一重の大難」には耐えられない、「結局はそれだけの境涯でしかなかった」講中であったのかもしれません。
2018/4/28 23:44 投稿者:大沢克日子
確かに日蓮正宗創価学会は一千万信徒と言われるほどの未曾有の功績があった信徒団体でした。
報恩坊公式ブログ「顕正会の誤りについて」に、「御遺命の戒壇に関する御指南(資料)」として、様々な貴重な資料が掲載されています。
「正本堂の意義付けに関する反省」(平成3年2月号)も非常に大切な資料だと思います。
「教師指導会の砌(平成3年1月10日)」が掲載されていますが、若い頃の日顕上人と戸田創価学会会長の話ははじめてうかがった内容でした。
次のコメントに両資料とも、一部を引用します。興味のある顕正会員の方は、報恩坊公式ブログ「顕正会の誤りについて」で、御自身で確認なさってください。
2018/4/28 23:52 投稿者:大沢克日子
(前略)
すなわち、正本堂を一期弘法付嘱書・三大秘法抄に示される御遺命の事の戒壇と直ちに断言し、意義付けてしまったならば、それは既に広宣流布が達成したということであって、それ以降は大聖人の仏法を、折伏によって弘教していくという広布への前進が、全く不要になってしまうわけであります。
今回、教師指導会における御法主日顕上人の御指南を拝し、改めて私の発言が、昭和四十七年の「訓諭」以前のこととはいえ、軽率であったことが悔やまれてなりません。
それはまた、現在教学部長という立場にある上からも、けっして無慚に見過ごすわけにはいかないことであります。
大聖人の仏法には「懺悔滅罪」ということがあり、また外典である「論語」にすら「過って改むるに憚ること勿れ」とありますので、ここに誌面をわずらわせ、私の過去の発言の過ちを反省するとともに、懺悔滅罪の一端とさせていただくものであります。 宗務院 教学部長 大村寿顕(大日蓮平成三年二月号)
報恩坊公式サイト「顕正会の誤りについて」御遺命の戒壇に関する御指南(資料)正本堂の意義付けに関する反省より引用させていただきました。
御僧侶方は自らの過ちについて反省懺悔なさる姿がありますが、浅井会長も、何の地位もない私たちも、私たち在家は自らの過ちについて、他人に責任転嫁するばかりで、自ら反省懺悔できないのではないでしょうか。
戻る