年頭の辞
躍進第二年 百万への出陣
日蓮正宗顕正会 会長 淺井昭衞
昨年十一月、濁乱の宗門の中に、傾かんとする日本国の中に、日蓮大聖人の御遺命を奉ずる顕正会三十万の法城は、ついに厳然と起立した。
国立戒壇のゆえに死罪に等しい解散処分を受けた顕正会が三十万の弘通を成しとげたということは、正系門家・日蓮正宗に御遺命の正義が甦る瑞相、また日本国に御本仏の御予言どおり国立戒壇が実現することの大瑞である。
見よ! 癒着して誑惑・不浄の正本堂に「戒壇の大御本尊」を居え奉った宗門・学会は、いま、想像を絶する醜く激しい抗争の泥沼に沈淪し、大苦悩を味わっているではないか。
戒壇の大御本尊を不敬・冒涜し奉ることが、いかに恐怖すべきことか、この現証を以て深く知るべきである。
抗争の結果、創価学会は今や「唯受一人の血脈」をも否定し、完全に邪教化した。
一方宗門は相も変らず自己保身に汲汲として、死身弘法の精神を全く失っている。
これで、広宣流布はいったいどうなるのか。誰人が死身弘法をなすのか――。
正系門家の中に、顕正会を除いては、身を捨てて立つ者は断じてあるべくもない。顕正会は、いよいよ百万めざし出陣する時を迎えた。日本をゆり動かす百万への出陣である。百万が成れば、一国広布は必ず成る。まさしく百万こそ、一国広布の鍵なのである。
すでに広宣流布の前夜であれば、地涌の流類はいたる所に続々と出てくること疑いない。
諸法実相抄に云く 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是れあに地涌の義に非ずや。剰へ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」と。
御本仏の眷属たる地涌の流類は「六万恒河沙」といわれる。この無量の地涌の流類が、時来れば続々と日本列島のいたる所に出現する。これが「地涌の義」である。
さあ! 本年から百万実現への本格的布陣を全国に布(し)こう。顕正会の、大聖人様に応え奉らんとするひたぶるの猛進の中にこそ、不敬解消も一国広布もある。
胸を躍らせ、前進を開始しようではないか。
平成五年元旦