顕正会の崩壊は近い


浅井会長の実現不可能な「誇大妄想」を直視しよう!
 

 

      年頭の辞 


            一国広布を見据えた本格的前進

                            日蓮正宗顕正会 会長 淺井昭衞

 昨年が日本にとって歴史的な大変動の年であったことは、すでに万人の知るところである。
 すなわち政治を見れば、二十八年間にわたり日本を支配してきた自民党政権が崩壊して分裂と抗争の時代に突入したし、経済は大不況となって"平成恐慌"の様相すら呈してきたし、また異常気象は百年来といわれる大凶作までもたらした。
 それだけではない、日本国民統合の象徴とされてきた皇室に対しても批判が起き、いわゆる"皇室の危機"がささやかれた――。世人はこれらを見て、日本が変動期に入ったことを知ったのである。
 だが、これらの変動が、国家にとって最も恐るべき「他国侵逼」の前兆であることを知る人は、いない。昨年は、実にこの他国侵逼の影も、すでに日本に迫ってきたのだ。まさに日本は傾いてきたのである。

 では――、その根本原因は何か。
 日蓮大聖人の仰せに云く 「仏法は体のごとし、世間は影のごとし、体曲がれば影ななめなり」と。下種仏法の唯一の正系門家たる日蓮正宗の信心が曲がったゆえに、日本は傾いてきたのである。

 見よ! 二十余年前、宗門高僧は池田大作にへつらい、御本仏一期の遺命たる国立戒壇建立を放棄して、正本堂の誑惑をなしたではないか。
 そしてこの違法を諌める顕正会を、無慚にも解散処分に付したではないか。
 だが顕正会の諌暁に次ぐ諌暁により、ついに正本堂の誑惑は崩れたのであった。
 しかるに阿部管長は未だに戒壇の大御本尊を誑惑・不浄の正本堂に居え奉ったままで、御遷座の大道念を起こさない。

 そもそも正本堂の誑惑において最も恐れ多いことは、この誑惑に、戒壇の大御本尊を利用し奉ったことである。
 国立戒壇に安置し奉るべき戒壇の大御本尊を、国立戒壇を否定するための正本堂に居え奉るとは、大御本尊への冒涜・辱め、これに過ぎるはない。そのうえ邪法の神父を招いてその座を穢すに至っては、云うべき言葉もない。
 御本仏大聖人はいかにお憤りあそばしておられるか、二祖日興上人はいかにお悲しみであられるか。これを思えば、仏弟子たる者、どうして安閑たり得ようか。
 ゆえに私は、宗開両祖の御悲憤をそのまま文字として、一昨年の十一月、これを最後との思いで、直諫したのであった。
 だが、阿部管長はこれをも無視した..そして恬然として、法華講員を無理矢理登山させては御開扉を強行している。これ大御本尊を営利の具とするものではないか。
 この不敬、この冒涜、この無道心を見て、諸天いかで怒りをなさぬ道理があろうか。

 ここに他国侵逼の影は、日本に迫りてきたのである。顕正会の最後の諌暁より半年後の昨年五月二十九日、北朝鮮のミサイル「労働一号」は、能登半島の沖をめがけて試射された。明らかに日本への威嚇であった。
 また中国は海軍力の増強を背景に、本年より東シナ海の公海上で資源開発を開始するという。さらにロシアでは極右勢力が台頭して、「オホーツク海はロシアの内海」「核攻撃も辞さない」と叫んで軍部・民衆の支持を得ている。
 まさしく、磁石が鉄を吸うように、他国侵逼の影は刻々と日本に迫りつつあるのだ。

 ここに昨年十月、顕正会は大聖人に誓い奉って一国広布に出陣したのである。顕正会の前進が、他国侵逼の大難に間に合うかどうか、この一事こそ何よりの重大事である。
 すべては本年からの「前進」にかかっている、すでに日本列島のいたる所に、三十四万の顕正会員は陣列を整えている。この一人ひとりが「日蓮大聖人の弟子」の自覚に立ち、その地において「一人立つ」の気魄で毅然と立つとき、広布の潮流は滔々として日本全土に流れ出す。
 大聖人様は顕正会の「前進」をお待ちあそばす。遅れては不忠となる。決然として前進を開始しようではないか。

  平成六年元旦