顕正会の崩壊は近い


浅井会長の実現不可能な「誇大妄想」を直視しよう!
 

 

      年頭の辞


             濁悪の世に百万の地涌出現

                            冨士大石寺顕正会 会長 淺井昭衞

 広宣流布への重大な節たる百万は、いよいよ平成十五年(二〇〇三年)の十一月には、大地を的として成し遂げられる。
 顕正会が広宣流布を見つめて発足したのは昭和三十二年八月。以来、死身弘法の星霜を重ねること実に四十五年。その間、最も重大な御奉公は、御遺命守護の戦いであった。
 およそ国立戒壇の建立は、御本仏・日蓮大聖人の唯一の御遺命、そして宗門七百年の悲願・宿願であった。
 しかるに池田大作は国立戒壇を否定せんとして、俄に建てた正本堂を「御遺命の戒壇」と偽り、時の貫首またこれを承伏した。この誑惑は、池田大作にとっては選挙のため、宗門僧侶においては保身からの阿諛であった。

 この御遺命破壊の大悪を見て、顕正会は身を捨てて諌め続け、ついに解散処分を蒙った。
 このときの会員数は一万二千。理不尽とはいえ、絶対権威の宗門管長から下された解散処分は、信徒団体にとっては死罪に等しきものであった。
 だが、顕正会の死身弘法は、その嵐の中にも一時も止むことがなかった。そして平成十年四月、「不思議の還御」と「正本堂崩壊」の仏意を拝見して紅涙を流したこと、昨日のごとくである。
 この御遺命を守護し奉った顕正会が、いまついに百万の死身弘法を成し遂げんとしているのだ。これ、末法濁悪の直中に、御本仏に応え奉らんと、地涌の流類続々と集い来たるの姿そのものではないか。
 三大秘法抄に仰せられた「末法濁悪の未来」とは、まさしく今日の日本である。

 見よ。人心が荒廃したこと、今日より甚しきはない。人ごとに欲望肥大・自己中心で放埓に陥ったゆえに、凶悪犯罪は一国に満ちている。立正安国論には「一切の人衆皆善心無く、唯繋縛・殺害・瞋諍のみ有りて……
 また 「衆生の父母に於ける、之を観ること樟鹿(しょうろく)の如くならん」と。この明鏡は、まさに今日の日本を映し出している。
 この三毒渦まく日本に、いま刻々と二大氷山が近づきつつある。そして国家財政の破綻も巨大地震の発生も時期を同じくし"早ければ二〇〇二年、遅くとも二〇〇五年"ということは、容易なことではない。この二大氷山の到来こそ、恐るべき他国侵逼の予兆に他ならない。
 御在世には正嘉元年に三度の巨大地震があり、なかんずく八月二十三日の地震は前代未聞であった。この地動をご覧になった大聖人は「他国より此の国を破るべき先相なり」と断じ給うておられる。

 いま迫りつつある東海地震も、東南海地震・南海地震さらに首都圏直下地震に連動することを、専門学者は一致して指摘している。この巨大地震の連発こそ、他国侵逼の凶瑞、そして事の広宣流布の大瑞でなくて何か。
 かかる重大な時期に、宗門は戒壇の大御本尊を誹謗する身延の悪僧を招くほどに腐敗し、学会また「ガンジーを魂とする」とまで堕落している。このとき、濁悪の日本国に、御遺命を守り奉った百万仏弟子の大集団が、ひとり忠誠を貫き、大聖人様に応え奉るのである。

 無道心の宗門・学会は大聖人を忘れ、御遺命を忘れている。
 顕正会は一念も御本仏を忘れず、見つめるところはただ「先師の地望」のみである。大聖人様の御心のまま、身を捨てて一国を諌暁する百万の地涌の大集団あれば、日本は必ず救える。
 さあ、明年十一月の百万達成めざし、一人ひとりが全く新たな決意で、新たな戦いを起こそうではないか。

   平成十四年元旦