顕正会の崩壊は近い


浅井会長の実現不可能な「誇大妄想」を直視しよう!
 

 

      年頭の辞


             法華経に勝る兵法なし

                            冨士大石寺顕正会 会長 淺井昭衞

 四条金吾殿が大勢の怨嫉者による闇討に遭いながら、不思議にも存命したとき大聖人は「すぎし存命不思議とおもはせ給へ。なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給ふべし」と仰せられた。
 また権力者に取り入って権謀術数を弄する真言の悪僧どもに対しては「汝等は人を方人とせり、日蓮は日月・帝釈・梵王を方人とせん」と仰せられている。

 これらの御指南を拝すれば、我らの御奉公の姿勢も自ずと定まってくる。広宣流布の戦いには、小手先の小細工や謀略は必要ないのである。ただ大聖人に忠誠を尽くせばよい。そして御奉公の赤誠ついに大聖人の御心に通ずるとき、諸天は動き、必ず事は成るのである。
 広布の前夜には、第六天の魔王が正系門家の仏法を壊乱する。池田大作が六十六・七の二代にわたる貫首を籠絡して、御本仏の唯一の御遺命たる「国立戒壇」を放棄させたのも、この魔の働きによる。
 この仏法の壊乱を見て、黙止する者は仏弟子ではない。大聖人は「法を壊る者を見て責めざる者は仏法の中の怨なりった」と厳しく誡め給うておられる。
 このお誡めを恐れて、私は宗門諌暁に立ったのである。

 しかし非力の凡夫が、絶対権威の「法主」と絶対権力の「池田」を諌めるということは、無謀に等しい。ゆえに忽ち顕正会は解散処分を蒙った。
 だが顕正会の諌暁は、私利私欲や感情で起こしているのではない。ただ大聖人様の御悲しみ御憤りを信心の耳で聞き奉り、これを顕わし奉ったものであれば、この諌暁の戦いには、凡慮を越える不思議が相次いだ。
 すなわち時の「法主」と池田が心を合わせて実行しようとしていた正本堂落成時における「広布達成・御遺命成就」の宣言は不可能となり、本門寺改称の陰謀は潰え、阿部日顕と池田大作は仲間割れして池田の宗門追放が事実となり、そして戒壇の大御本尊は「不思議の還御」をあそばし、正本堂は音を立てて崩壊したのであった。

 さらに今、三大謗法を犯しても恬として恥じなかった阿部日顕、宗規まで改変して「終身法主」を企んだ阿部日顕が、「最後に申すべき事」で止めを剌されたうえに、須弥壇の扉が聞かぬという御本仏の「目通り叶わぬ」のお叱りを受け、蒼惶(そうこう)として本山を逃げ出したということは、何たる不思議であろうか。
 これを以て思うに、大聖人様が「大地を的とする」と断言され、「日本国一時に信ずる事あるべし」と確言し給うた広言流布が、どうして虚しくなることがあろうか。
 御遺命を命かけて守護し奉ったゆえに、顕正会はこの「広宣流布」のお手伝いが叶うのである。

 さあ、大聖人のお待ちあそばす大法戦場へ、三百万の軍勢をもって急ぎ駆け付けよう
 すでに日本国は「第二段階」突入であれば、いよいよ気象異変は盛んになり、大地震も間近と思われる。強盛の信心でこの災難を乗り越え、一筋に三百万めざして驀進しようではないか。

   平成十八年元旦