年頭の辞
第二の五十年
冨士大石寺顕正会 会長 淺井昭衞
本年八月、顕正会は発足五十周年を迎える。この五十年を振り返れば、まさに御遺命守護の御奉公を貫き通した五十年であった。
御本仏日蓮大聖人の御遺命が、広宣流布・国立戒壇建立にあることは、日興上人への御付嘱状に赫々明々である。しかるに広布前夜の正系門家において、池田大作は政治野心を遂げるため、難多き「国立戒壇」を捨てて、俄に建てた正本堂を「御遺命の戒壇」と偽った。
そして、この大それた謀りに、宗門の六十六・六十七の二代にわたる貫首が、大聖人の御眼も恐れず協力したのであった。
傷(いたま)しいかな。ここに御本仏の一期の御遺命は、まんまと欺瞞の正本堂に摩り替えられ、消滅せんとしたのであった。
この無慚をご覧あそばせば、大聖人様はいかように思し召されるか。もしこの重大な破法を見て置くならば、不忠はこの上もない。私は身の破れるをも顧みず、御遺命を守り奉らんと、連々の強訴・強諌を開始した。
当時、顕正会は七千、対する学会は八百万、しかも誰人も背けぬ「法主」を擁していた。勝敗の帰趨は自ずと明らかであった。
だが、凡慮の及ばぬ数々の不思議が起きた。中にも、本門戒壇の大御本尊の還御と、正本堂の崩壊は、不思議の中の不思議であった。
正本堂に戒壇の大御本尊を居え奉ったその日、細井日達と池田大作は誇らしげに、大御本尊安置の正本堂が「末法万年に永遠」であることを謳(うた)い上げ、その記念として、貫首は法衣一式を、池田は自ら着用の礼服を、それぞれ正本堂の地下に埋納して大衆に見せた。
だが、ほどなくして細井・池田の間に疑心暗鬼が生じ、その抗争に性心を労した細井日達は、御相承もなし得ずに急死した。
次いで池田の肝煎(きもいり)で阿部日顕が登座したが、これも顕正会の諌暁を機に池田と隙(げき)を生じた。この抗争は醜悪・激烈なるものに発展し、ついに戒壇の大御本尊の還御と、正本堂の打ち壊わしを見るに至ったのである。
これほどの不思議があろうか――。「末法万年まで」と謳歌(おうか)し、全宗門僧俗もこれを信じた正本堂が、何とわずか二十六年で、地上からその姿を消したのだ。この不思議こそ、御本仏の厳たる御意の表われであった。
すなわち大聖人様は御遺命の破壊を許し給わず、よって顕正会をして立たしめ諌暁せしめ、諸天をして正本堂を打ち壊わしめ給うたのである。
そして池田大作は宗外に去り、阿部日顕も身を隠した。一方、顕正会には百十八万の地涌の流類が集い、国家諌暁に立つにいたった。この御本仏の厳たる賞罰、私はただ伏し拝し奉るのみである。
そして今、第二の五十年を迎えた。この五十年のうちに、大聖人が「大地を的とする」と断言し給うた広宣流布・国立戒壇建立は、必ず成ると私は確信している。五十年の中にもその前半にと、私は深く願求し祈請(きしょう)している。
広宣流布の前には、「前代未聞の大闘諍、一閻浮提に起こるべし」と大聖人は予言し給うておられるが、いま御在世の大蒙古のごとくなる中国の勢力拡大は世界をゆさぶっている。中東が、アフリカが、中央アジアが、南米諸国が、このところ一気に反米に傾いているのも、中国の巧みな資源外交と強大なる軍事力のゆえである。そして北東アジアは最も重大。この地域こそ、閻浮大闘諍の本舞台となるに違いない。
諸天は、御本仏に背き続ける日本を、いつまでも許さない。「時に隣国の怨敵かくの如き念を興さん、まさに四兵を具して彼の国土を壊るべし」(報恩抄)は虚事ではない。「其の時、何んが為んや」の仏語は重い。このとき、日本は亡国となる。同時にこの時、日本一同に信ずる広宣流布は事相となるのである。
大聖人様の、諸天に申し付けてのこの重大御化導、お手伝いを許されるのは、御遺命を命かけて守護し奉った顕正会だけである。これに勝る「仏法を得べき便り」はない。人生をかけ、命をかけて何の悔いがあろうか。
さあ、百十八万顕正会員一結して御奉公を貫き、大聖人様のおほめを賜わろうではないか。
平成十九年元旦