年頭の辞
広宣流布甚だ近し
冨士大石寺顕正会 会長 淺井昭衞
上野殿御返事に云く 「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」
また諸法実相抄に云く 「剰へ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」と。
このように御本仏大聖人が予言・断言あそばした「広宣流布」は、いよいよ第二の五十年の内に、必ず事実となる。
この「時」を感じて、私は昨年の五十周年記念幹部大会において、命かけての広布最後の御奉公を、三万人の同志とともに、謹んで大聖人様に誓い奉った。
同時に私は、御遺命のゆえに解散処分を受けた顕正会が、広布最終段階を戦うための信行を示すべきと思い、これを明示した。――すなわち、恋慕渇仰の信心をもって戒壇の大御本尊を遙拝し奉って勤行し、広宣流布をめざして死身弘法するの信行である。
この信行こそ、御在世に立ち還った信行である。熱原の法華講衆は大聖人に一度もお目にかかることもなく、あの重大の御奉公を貫かれている。また日興上人・日目上人の上代には、専ら戒壇の大御本尊を秘蔵し奉ったゆえに、御開扉などは全くなく、ただ「広宣流布・朝夕近し」の大情熱で死身弘法を展開されたのである。
顕正会はこの峻厳なる御在世の信行を、今に移しているのである。政治野心のために御遺命を破壊せんとした学会や、これに諂って正本堂の誑惑に協力した上、いささかの改悔もなく営利のための御開扉を続けている禿人たちには、想像すらできぬ信行であろう。そしてこの信行こそ、大聖人の御意に叶い奉るゆえに、いま顕正会員は現当にわたる大功徳を頂いているのである。
冒頭の御金言の「梵天・帝釈等の御計いとして」とは、諸天の働きにより、日蓮大聖人に日本一同、帰依せざるを得ぬ客観状勢が作られていくことである。
見よ―。いま人類は、地球異変により刻々と生存を脅かされつつあるではないか。またこれに伴い、食糧・水・資源は乏しくなる一方で、これをめぐり各国はすでに争奪戦を演じている。ことに、あと十一年で石油が枯渇する米国と、石油消費量世界二位の中国は、国の存亡をかけて中東の石油を手中に収めんと争っている。この貪欲と瞋恚が激突するところ、「前代未聞の大闘諍」は不可避となる。
そのなか日本は、中国・ロシア・北朝鮮の核に取り囲まれている。中国の脅威は今さら説明の要もない。ロシアは「皇帝・プーチン」によって、現在、旧ソ連を凌ぐ軍事超大国に変身しつつある。金正日の核は「気狂に刃物」そのものである。そしてこの三国に共通する情念は、日本に対する「憎悪」である。
諸天の働きにより、これらの国々が四方より侵略の意志を懐くとき、日本は必ず亡びる。
この亡国を救うのは、広宣流布以外にはない。諸天に申し付ける絶大威徳まします日蓮大聖人に日本一同帰依し、国立戒壇を建立する以外に、亡国を逃れる術はないのだ。
いま全顕正会員は「御生骨」の大事を知り、身震いして広布の大確信に立っている。御生骨こそ、広宣流布の証明として御本仏が留め置かれた、富士大石寺に伝わる大事の秘宝である。
だが、この重大の現証も「顛倒の衆生」には「雖近而不見」となる。命かけて広宣流布を熱願する純信の者のみが、御生骨に籠められた御本仏の甚深の御聖意を拝し奉ることができるのだ。御生骨は、すでに「広宣流布甚だ近し」をお教え下されている。
―― 思えば、いうに甲斐なき凡夫の我等が、何という重大な時に生まれ合わせたものか。
さあ! 一人ひとりが師子王心を取り出し、不退の猛進を開始しよう。そして御遺命成就の日、光を放つ御生骨を、全員で紅の涙の中、拝見させて頂こうではないか。
平成二十年元旦