顕正会の崩壊は近い


浅井会長の実現不可能な「誇大妄想」を直視しよう!
 

 

      年頭の辞


             六千万地涌出現は必ず成る

                            冨士大石寺顕正会 会長 淺井昭衞

 昨年は、全顕正会員が地涌の菩薩の命にめざめ、六千万地涌出現は必ず成るの大確信に立たせて頂いた年であった。
 地涌の菩薩とは、下種の御本仏日蓮大聖人の眷属であり、広宣流布のお手伝いをするために、法華経の会座においては上行菩薩に率いられて出現し、いま末法においては日蓮大聖人に召し出だされて広布に戦う、無数の菩薩の集団である。
 日本国の人々は、この国に御出現された日蓮大聖人が、いかに尊貴そして大慈大悲の御本仏であられるかを知らない。この大事を教え広宣流布に戦うのが、地涌の菩薩なのである。

 日蓮大聖人は外用は仏勅使・上行菩薩、内証は実に三世諸仏の根源の御仏たる久遠元初の自受用身であられる。そして末法の全人類を成仏せしめるため、大慈悲を以て三大秘法を授与して下さったのである。  かかる御本仏の崇高の化導を、日本国の善神たる天照太神・八幡大菩薩はもちろん、宇宙的スケールの力用を有する梵天・帝釈・日月・四天等の諸天も厳然と守護し奉る。
 この絶大威徳を下種本仏成道御書には「教主釈尊の御使なれば、天照太神・正八幡宮も頭をかたぶけ、手を合わせて地に伏し給うべき事なり。法華経の行者をば、梵釈左右に侍り日月前後を照らし給う。かかる日蓮を用いぬるとも、悪しく敬わば国亡ぶべし。何に況んや数百人に憎ませ、二度まで流しぬ。此の国の亡びん事疑いなかるべけれども、且く禁をなして、国をたすけ給えと日蓮がひかうればこそ、今までは安穏にありつれども、法に過ぐれば罰あたりぬるなり」と。
 仰せのごとく、日蓮大聖人は外用は仏勅使・上行、内証は久遠元初の自受用身。よって天照・八幡は地にひれ伏し、梵釈・日月は左右前後に侍って守護し奉るのである。
 かかる尊貴の大聖人を、当時の日本国は流罪・死罪に処し、しかも第三度の諌めにも改悔なきゆえに、「法に過ぐれば罰あたりぬるなり」として、蒙古の責めという大罰を受けたのである。

 だが、日本国はそれより今にいたるまで、大聖人を軽賎し背き続けている。
 加えて、一国を諌めるべき正系門家は政治野心に燃える池田大作に諮って、唯一の御遺命たる「国立戒壇」を否定して偽戒壇・正本堂を建て、あろうことか、国立戒壇に安置し奉るべき本門戒壇の大御本尊を、その偽戒壇に居え奉ったのである。
 御本仏を冒涜し奉るの大罪、これより甚だしきはない。諸天いかで怒りをなさざらんや。ここに「法に過ぐれば罰あたりぬるなり」の仰せのままに、いま日本に、御在世以来の亡国の大難が起こりつつあるのだ。
 その大難とは、巨大地震の連発、それに伴う原発災害、国家破産、そして他国侵逼の四つである。

 巨大地震の連発は、これ亡国の号鐘、他国侵逼の前相・凶兆である。一昨年の 「3・11」巨大地震を皮切りとして、首都圏直下、南海トラフの二大地震もいま刻々と近づきつつある。さらに陸域の活断層で発生する地震は列島の到るところで起こり得る。この未曽有の大地動乱だけでも、日本は潰滅的打撃を受ける。原発災害・国家破産の惨害については、もう説明の要もない。
 そして今、御在世の大蒙古を彷沸させる隣国の軍事超大国は、いよいよ日本への敵意を露わにして来た。日蓮大聖人に背く国には、諸天の力用により、自然と隣国の王が侵略の意志を懐くのである。ゆえに報恩抄には経文を引いて「時に隣国の怨敵、かくの如き念を興さん。当に四兵を具して彼の国土を壊るべし」と。
 この他国侵逼が起こるとき、日本は滅亡する。すべては仏法より事起こるのである。

 今の日本を見れば、刻々と近づく四大災難になす術もない。やがて日本は八方塞がりとなって滅亡を待つのみとなる。
 このとき、全日本人に、日蓮大聖人の大慈大悲と御本尊の大功徳を教えるのは、日蓮大聖人を魂とする地涌の大集団たる、我が顕正会以外にはあるべくもない。
 御遺命のゆえに解散処分を受けた顕正会が、いま一五六万の大集団となって国立戒壇めざして日本を独走しているのも、また「末法万年の事の戒壇」と偽称した正本堂が音を立てて崩壊したのも、すべてはこれ大聖人様の御仏意による。
 されば、日本国亡びんとする時、国立戒壇建立を決する鍵たる六千万の地涌出現が、叶わぬはずは断じてない
 日本に残された時間は少ない。
 さあ本年より、いよいよ大規模の死身弘法を以て、何としても大聖人様に応え奉ろうではないか。

   平成二十五年 元旦 (顕正新聞 第1262号)