年頭の辞
国難二年
冨士大石寺顕正会 会長 淺井昭衞
昨年は、異常気象による記録的な大洪水・大悪風・大暴雪等が相次ぎ、さらに長野県北部地震や御嶽山・阿蘇山・桜島の噴火が発生し、まさに天変地夭の年で、あった。
日本列島は「3.11」超巨大地震により地殼バランスが不安定になり、本格的な「大地動乱の時代」に突入したといわれる。
今後、年を逐って天変地夭は激しさを増し、その中に、首都圏直下地震も、南海トラフ巨大地震も、さらには富士山噴火も発生すると思われる。この天変地夭は、仏法上いかなる意義を持つのか。
日蓮大聖人は撰時抄に
「
其の時、天変地夭盛んなるべし。国主等其のいさめを用いずば、乃至、前代未聞の大闘諍一閻浮提に起こるべし」と。
天変地夭は仏法に背く国に対する諸天の諫めであり、この諫めを用いなければ、ついには世界的規模の大戦乱が起こる。すなわち、天変地夭は他国侵逼の先兆である ―― と御教示下されている。
そして国難元年の昨年には、仏法上、二つの大事があった。
その一つは、中国の核戦力の増大により、米国の保護下にある日本の「属国的平和」は持続不可能となり、やがて亡国に至る。この国家存亡の危機を大聖人様に見せて頂き、いよいよ全顕正会が、広布の決戦場たる二〇二〇年代を見据えて出陣したことであった。
かくて顕正会の死身弘法はいま百七〇万に及ばんとし、二〇一九年までの二百万達成は確実となった。これ、日本を救う仏弟子の大集団の出現である。
一方、亡国をもたらす極限の大謗法を、創価学会がついに犯すに至った。
すなわち昨年一一月七日、創価学会は会則の教義条項を改変して、あろうことか「
弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」と、会長・原田稔が聖教新聞(一一月八日付)に公表したのであった。
第六天の魔王がその身に入らずして、どうしてこのような大それた発言をなし得よう。
大聖人は最蓮房御返事に
「
予日本国の体を見るに、第六天の魔王智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」と。
念仏宗の法然が「
捨・閉・閣・抛」(捨てよ・閉じょ・閣け・抛て)と唆して諸経中王の法華経を捨てさせたのも、真言宗の弘法が「
第三の劣」と貶して法華経を捨てさせたのも、また天台宗の第三・四祖の慈覚・智証が「
理同事勝」と誑かして法華経を捨てさせたのも、みな第六天の魔王がその身に入ったゆえの所行であった。
いま第六天の魔王は、信心うすく大慢心の池田大作の身に入って、御本仏・日蓮大聖人の出世の御本懐、全人類成仏の根源たる「本門戒壇の大御本尊」を、捨てさせようとしているのである。これにまさる大謗法はない。
国難元年という歳に、大聖人様に一筋の忠誠を貫く顕正会が二百万への出陣を遂げ、同時に、御本仏に背き奉る極限の大謗法が出来したことは、まことに不思議を感ずる。
そして今、この大謗法の創価学会・公明党は政権に深く食い入っている。一方、安倍政権は現職閣僚一九人中の一六人が、「神道政治連盟国会議員懇談会」なる国会議員組織に属している。
この組織は神社本庁と結託して、日本を「神の国」にすることを目的としている。平成一二年に森喜朗総理大臣が「
日本は天皇を中心とする神の国」と発言して物議をかもしたが、この発言は同組織の設立三〇周年記念祝賀会での挨拶であった。平成二六年一二月現在、この組織に参加している国会議員は二八九名の多数に上っている。会長は安倍晋三首相である。
極限の謗法と、神道尊重。この二悪鼻を並べる日本の政権に、諸天が怒りをなさぬはずがない。天変地夭は国難二年以降さらに増大し、ついには恐るべき隣国の責めに至るであろう。
十字御書には
「
今日本国の法華経をかたきとして、わざわいを千里の外よりまねき出せり」と。
日蓮大聖人に背き続ける日本は、磁石が鉄を吸うごとく、必ず亡国の大難を受ける。国を安泰にする道は「立正安国」以外にない。広宣流布・国立戒壇建立以外にはない。
大聖人様はお待ちあそばす。
さあ、
早く二百万の仏弟子の大陣列を整え、速かに大聖人の御馬前に馳せ参じようではないか。
平成二七年 元旦