年頭の辞
いざ広宣流布の決戦場へ
冨士大石寺顕正会 会長 淺井昭衞
昨年は、全顕正会員の真心の弘通により総会員数が二百十三万七千名に達した。 そして御遺命破壊の謀りがついに最終章に至ったこと、また「
広告文と遥拝勤行で広宣流布は成る」の確信が全顕正会にみなぎったことにおいて、まことに偉大な前進であった。
ここに年頭に当り改めて、国立戒壇建立の御遺命がいかに重大かを、重ねて拝し奉りたい。
日蓮大聖人の御遺命が、広宣流布の暁の国立戒壇建立であることは、三大秘法抄・一期弘法付嘱書に太陽のごとく明らかである。すなわち三大秘法抄を拝見すれば、そこには戒壇建立についての「時」と「手続」と「場所」が明白にお示し下されている。
まず「時」については 「
王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」と仰せられている。
この御文意は ― 国家が宗教の正邪にめざめ、日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰の唯一の大法、一切衆生成仏の唯一の正法であると認識し、日本国の国主たる天皇も、国政を司る大臣も、全国民も、一同に三大秘法を受持して、日蓮大聖人の御法魂たる「本門戒壇の大御本尊」を守護し奉るためには、有徳王・覚徳比丘の故事に示されているごとくの、身命をも惜しまぬ大護法心が日本国にみなぎった時 ― ということである。
次いで戒壇建立の手続については 「勅宣並びに御教書を申し下して」と定められている。「勅宣」とは天皇の詔勅、「御教書」とは行政府の令書、これを「申し下す」とは、国家意志を表明するの意である。
すなわち、日蓮大聖人が全人類成仏のために授与し給うた「本門戒壇の大御本尊」を、国家の命運を賭しても守護し奉るとの国家意志の公式表明を、戒壇建立の必要手続とせよ ― ということである。
次いで建立の「場所」については「霊山浄土に似たらん最勝の地」と定められている。この「最勝の地」とは、日興上人の仰せを拝すれば「富士山天生原」である。ゆえに日寛上人は「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」(報恩抄文段)と御指南下されている。
以上、三大秘法抄の御聖文を拝すれば、まさしく御遺命の戒壇とは、広宣流布の暁に国家意志の公式表明を以て富士山天生原に建立される国立戒壇である。
そしてこの国立戒壇こそ、「本門戒壇の大御本尊」の無量無辺の功徳・広大深遠の妙用を以て日本国を仏国となし、延いては全世界を寂光土となすの秘術であれば、日蓮大聖人の究極の大願であられる。
ゆえに正系門家・富士大石寺においては、日興上人・日目上人以来七百年、国立戒壇建立を唯一の宿願とされて来たのである。
ここに歴代先師上人の文証を挙げれば
第五十九世・日亨上人は「唯一の国立戒壇、すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」(富士日興上人詳伝)
第六四世・日昇上人は「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿落成慶讃文、昭和30年11月)
第六五世・日淳上人は「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(富士一跡門徒存知事の文に就いて)、「この元朝勤行とても…二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての、広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります」(大日蓮、昭和34年1月号)
第六六世・細井日達管長すら、登座直後には次のごとく正義を述べていた。「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華、昭和35年1月号)と。
いや、御遺命破壊の元凶たる池田大作すら曽ては「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華、昭和31年4月号)と力説していた。
しかるに、政治野心に狂った池田大作は、評論家・マスコミ等の国立戒壇批判に恐れをなし、「国立戒壇は選挙に不利をもたらす」として、自ら国立戒壇を否定したうえで偽戒壇・正本堂を建立し、これを時の貫首に「御遺命の戒壇なり」と認めさせようとした。
時の貫首は細井日達、次の貫首は阿部日顕であった。この二人は池田大作の威を恐れ、かつ諂らい、唯唯として池田の御遺命破壊に協力した。かくて大聖人一期の御遺命たる「国立戒壇建立」は、正系門家から消滅したのである。
この大それた謀りこそ、まさに流罪・死罪を耐え忍ばれて三大秘法を弘め給うた日蓮大聖人の一代御化導を、水泡に帰せしめるの大悪であった。大聖人様はこの大悪を断じて許し給わず。ゆえに顕正会をして諫暁せしめ、ついに偽戒壇・正本堂を打ち砕かせ給い、さらに師敵対の逆徒・三人を罰し給うた。
いま三人の末路を見れば ―
池田大作は「生ける屍」と化してすでに九年。細井日達は大事の「御相承」をもなし得ずに急死し、堕獄の悪相を現じた。阿部日顕は四〇年にわたり「詐称法主」の辱めを受け、その中に国立戒壇否定の執念だけは燃やし続けたが、長き病苦の末、昨年九月に命終した。
かくて、第六天の魔王が企んだ御遺命破壊の謀りも漸く「最終章」を迎えたのであった。
但し、時の貫首による「国立戒壇の正義」宣示は、未だなされていない。されば国立戒壇建立の御遺命は、正系門家において消滅したままになっている。
大聖人様は伝教大師の正系門家・叡山に事寄せて、日本国の安危を次のごとく仰せ下されている。「仏法の滅不滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆえに、異国 我が朝をほろぼさんとす」と。 「仏法は体、世間は影」であれば、正系門家・富士大石寺において「国立戒壇」の正義が失せれば、磁石が鉄を吸うごとく、隣国は日本を襲う心を起こす。
見よ、中国の異様な軍事膨張を ―。その強大な戦力はすでに覇権国・アメリカをも脅かしている。さらに中国は、世界第二位の核戦力を持つロシアとも事実上の軍事同盟を結んでいる。この二国が結託したらアメリカも敵し難い。
この中国が日本に食指を動かしているのである。そのことは、尖閣諸島周辺における異常な中国公船の航行を見てもわかる。昨年は延べ1021隻が、日本領土である尖閣諸島周辺の領海および接続水域に侵入している。
領土拡大の野望に燃える中国は、やがて台湾を統一し、尖閣諸島を奪い、いよいよ日本本土を襲うであろう。この他国来難は「仏法より事起こる」もの、諸天の誡めであれば、いかなる手段を講じても避けることはできない。 このとき、日本国中が恐怖の底に突き落とされる。
大聖人様はこの大罰を用いて、いよいよ広宣流布をあそばす。このとき御奉公申し上げるのが、真の仏弟子・地涌の菩薩である。学会・宗門は御遺命に背いたゆえに、広宣流布に戦う資格も力も失ってしまった。顕正会が立たずして、誰人が大聖人様に応え奉るのか。
二〇年代こそまさしく広宣流布の決戦場である。早く三百万を成し遂げ、全員で、大聖人様の御馬前に馳せ参じ、大事な御奉公を貫かせて頂こう。
さあ、いよいよ決戦場を見つめ、歓喜の大行進を起こそうではないか。
令和二年 元旦