年頭の辞
三百万を見つめて
冨士大石寺顕正会 会長 淺井昭衞
広布の決戦場たる二〇年代・第一年の昨年は、年初より新型コロナウィルスが急速拡大し、年末には世界全体の感染者は八千〇三六万人、死者は一七五万人に達した。
さらに英国で新たに発生した感染力強大な新型コロナウィルスの変異種も、いま日本を含めて全世界に広がりつつある。
このコロナウィルスの大感染が、経済を直撃して企業倒産・大量失業をもたらし、これが現代の「けかち」となる。さらに日本においては大聖人様仰せのごとく、やがて「どしうち」が起き、そののち「他国から責めらるる」が起こるのである。
まさに広布決戦場の第一年に「総罰」が始まったこと、まことに不思議を感ずる。
その中にも、全顕正会員の弘通の赤誠は止むことなく、ついに二二二万法城は厳然と屹立し、広宣流布への重大関門たる三百万は指呼の間となった。
また年末には、産業道路に面した堂々たる正門も設けられ、その奥に堅固なる第三青年会館も落成した。これを以て、広布の本陣たる本部会館の陣容は完璧に整ったのである。まことに昨年の前進は偉大であった。
ここに迎えた「
決戦場の第二年」――。思うはただ御遺命成就の一事のみである。
日蓮大聖人の唯一の御遺命が「広宣流布の暁の国立戒壇建立」であることは、三大秘抄・一期弘法付嘱書に赫々明々であり、歴代先師上人の仰せに天日のごとく明らかである。池田大作すら曽ては「
国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのである」(大白蓮華59号)と述べていた。
だが、第六天の魔王が広布前夜に、正系門家の仏法を壊乱しないわけがない。
天魔は、政治野心に燃え大慢心している池田大作の身に入った。すると忽ち池田は「
国立戒壇は御書にない」などと言い出し、また「
国立戒壇は選挙に不利をもたらす」として、自ら国立戒壇を否定し、同時に「正本堂」なる偽戒壇を建て、これを時の貫首に「御遺命の戒壇なり」と認めさせようとした。
細井日達・阿部日顕の二代にわたる貫首は、池田大作の威を恐れ、かつその財力に諂い、唯々諾々とこの大誑惑に協力した。
かくて大聖人の一期の御遺命たる「国立戒壇建立」は、正系門家から消滅した。第六天の魔王の障碍は成功したかに見えた。
まさしくこの大それた謀りこそ、御本仏日蓮大聖人の、流罪・死罪を忍び給うての一代御化導を、水泡に帰せしめるの大悪であった。
だが大聖人様はこの大悪を断じて許し給わず。ゆえに顕正会をして諫暁せしめ、ついに偽戒壇・正本堂を打ち砕かせ給うた。
ここに思うに、正本堂の崩壊こそ、まさに第六天の魔王の敗退であり、池田大作・細井日達・阿部日顕等のたばかりの終焉であった。
そして「破邪」の次には必ず「立正」がある。立正とは国立戒壇の建立である。
すべては大聖人様の絶大威徳により成就するものであれば、国立戒壇は必ず成る。
見よー。
「
2020年代に、アジアから米国勢力を駆逐し、大中華帝国を築いてアジアに君臨する」と宣言した中国は、いよいよ台湾を統一(*)と尖閣諸島を奪わんとする動きを見せ始めているではないか。
「
仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば影ななめなり」(富木殿御返事)と。
御本仏の唯一の正系門家が御遺命に背き奉ったのみならず、今や学会はあろうことか戒壇の大御本尊をも捨て奉り、宗門は大御本尊を営利の具とし奉っている。
この「極限の大謗法・師敵対」を見て、諸天いかで怒りをなさぬ道理があろうか。ここに今、諸天は大中華帝国をして、この日本を責めしめんとしているのである。
もし諸天の責めであるならば、いかなる防衛力も役には立たぬ。ゆえに撰時抄には「
設い五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともかなうべからず。必ず日本国の一切衆生兵難に値うべし」と。
この「兵難」がどれほど残虐で恐ろしいものか。
このとき、日本をお救い下さるのは、諸天に申し付ける絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。
顕正会はこのとき、大聖人様の大慈大悲と大恩徳を、全日本人に徹底して教え、帰依せしめねばならぬ。
この
広布最終段階に御奉公できるとは、何と有難い宿縁であろうか。
三百万こそ
広宣流布の重大関門である。
大聖人様に忠誠を貫く者は、必ず大聖人様の御守護が頂ける。
さあ、
決戦場の第二年、
一筋に三百万を見つめ、何としても大聖人様に応え奉ろうではないか。
令和三年元旦
(*) 台湾
を統一 : 台湾統一 あるいは 台湾の統一 と表記すべきところであろう。