顕正会の崩壊は近い


浅井会長の実現不可能な「誇大妄想」を直視しよう!
 

 

      妄想の根拠 … 「御生骨」


 平成二〇年、浅井会長は「御生骨」について、こう言及した。
 「私は、この御生骨を昭和三十一年四月、日淳上人の御登座のおり、具に拝観させて頂きました。その時は、もう御肉が盛り上がって御歯の全体を包んでいるごとくで、御肉の色は薄紅色のごとく拝観できた。このとき私は『もう広宣流布は、甚だ近い』との確信を懐いた」  
 これが、「広宣流布は甚だ近い」とする浅井会長が示し得る「確信」の、唯一の根拠なのだった。
 昭和三十一年といえば妙信講再建の前年、平成二〇年からすれば五〇年も前のことであり、昭衛氏が若干24歳の時の確信である。
 浅井会長が言う、「甚だ近い」というのはそういう時間的レンジでのことだ、ということを顕正会員は知らなければいけない。

 御生骨(御肉牙)の伝承を真に受けるのは、これもまた戸田会長譲りである。
 戸田氏は昭和31年3月、「御肉牙に関する請願書」を宗門に提出した。
 「この世界的秘宝『御肉牙』に関し、世界的にその存在を発表して反響を待つべき時であると信ずるものでありますが、この儀ば如何なものでございましょうか。
 特に医学界・生物学界・生理学界・その他科学界に広く発表したならば謗法となるものでありましょうか
」  
として、
 「何卒、宗門当局におかれましては、この際『御生骨記録委員会』を結成して、御座替りの盛儀を期に御肉牙に関する一切の正確な記録をとって頂き度く」  
と申し入れたが、宗門(淳師)は無視して取り合わなかった。

 戸田会長が戒壇建立への指針を明確にし、国立戒壇への言及がはじまるのは、まさにこの時期を境にする。
 「この国立戒壇は、当然日蓮門下において、遂行されなければならないが、これは重大なる仕事であって、一朝一夕になし得られるような、やさしい仕事では断じてない」(「大白蓮華」、昭和31年4月1日)  
 法道会からの妙信講離脱は、御生骨の拝観から1年4ヶ月後のことである。戸田・浅井両氏の動向は、御生骨による確信が根底にあると言えるだろう。

 浅井会長は、
御生骨こそ、広宣流布の証明として御本仏が留め置かれた、富士大石寺に伝わる大事の秘宝である。… いうに甲斐なき凡夫の我等が、何という重大な時に生まれ合わせたものか。… そして御遺命成就の日、光を放つ御生骨を、全員で紅の涙の中、拝見させて頂こうではないか」(平成二十年 「年頭の辞」)  
と、会員を煽動する。

 この御生骨については、「富士門家中見聞」(精師)に
其の頃御牙歯脱け落つ、聖人此の歯を以て日目に授けて曰わく、我に似り問答能くせよとて御肉付きの御歯と申すは是れなり、此の御歯当山霊宝随一なり、広宣流布の日は光を放ちたもうべしと云えり」  
と伝承されている。
 この伝承の文脈においても、聖人曰わくの部分は「我に似り問答能くせよ」であり、「申すは是れなり」や「当山霊宝随一」や「光を放ちたもうべし」は、主語不明の後代の「云えり」に過ぎない。

 諸天や功徳を実体視し、かつ教条的な浅井会長であるから「と云えり」という伝承を、ストレートに受けとめてしまう。
 近年、ES細胞が医学界で「再生医療」への応用に、注目されている。生体外で、すべての細胞組織に分化する能力を保ちつつ、増殖させる事ができるからである。
 七〇〇年も生体外で生きていて、「御肉が盛り上がって御歯の全体を包んで」という昭衛青年の観察が事実なら、医学界・生物学界において衝撃的な出来事だろう。

 しかし、御生骨の伝承が今日の科学的・医学的な検証に、耐えうるべくもないことは自明である。
 「と云えり」という伝承は、他宗・他門にもいくらでもある。あくまで伝承は伝承として、その範囲で尊重すればよいのだ。 
 浅井会長のように、「御生骨こそ広宣流布の証明として御本仏が留め置かれた」などと強引に言い張れば、自ら墓穴を掘るだけである。

 結論として、「あと二十年」(平成07年)とか「あと十有余年」(平成21年)とか「広宣流布は甚だ近い」(昭和31年)とする「確信」の唯一の根拠として、不確かな伝承を浅井会長は提示するだけである。
 そして、その「根拠」は二重・三重に、破綻を来たしている。 (櫻川 記 2011年05月11日)