顕正会の崩壊は近い


浅井会長の実現不可能な「誇大妄想」を直視しよう!
 

 

      六千万・事実上戒壇説


 厳虎氏が、新「浅井流法門」の問題を指摘している。

矛盾というよりは欺瞞、さらに言えば詐欺みたいなものだ」、「アイマイなことを言ってお茶を濁しているのである。まったくお話にならない」、「従来の浅井説を採れば、これは事の戒壇ではなく義の戒壇になるはずなのだ」、「これはまさに自家撞着である。三十数年前に言っていたことが今、自分自身に突きつけられている。還著於本人とはこのことであろうか?」(巌虎独白)

 二月度総幹部会で浅井会長は、このように従来の自説を否定し、にわかに新義の戒壇論を展開した。 

 「いいですか。『国主此の法を用いて』とは、まさしく事実上の国立戒壇であります。この『国主』の背景には、六千万の地涌の菩薩が控えているからです。六千万の熱願で国家意志が決せられ、国を代表する国主が命かけて戒壇の大御本尊様を信じ祈り奉るならば、日本は始めて救われるのであります。この他国侵逼に打ち勝ってのち、一国あげての信心の赤誠を以て、富士山天生原に壮大なる国立戒壇が建立され、いよいよ本門戒壇の大御本尊はお出ましあそばすのであります

 では、従来の自説を御遺命守護の原点である「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」に、見てみよう。

 三、事の戒壇は事の広宣流布の暁に立つと聞き奉る

  (略)
 かかる絶対帰依・生命がけの大信心が上一人より下万民に至るまで漲る時、始めて国立戒壇が建立され、その戒壇堂に弘安二年の大御本尊は出御遊ばす。
 その戒壇を始めて「事の戒壇」と申し上げ、広言流布の時を待ち給うて富士の宝庫にまします時はその大御本尊おわします処・義そのまゝ本門戒壇に当たるゆえ「義の戒壇」と申し上げる。これが七百年来の宗義である。
  (略)
 かくの如く先師は一糸をも乱し給わず。異口同音の仰せである。かかる白日の掟を誰か背く事が出来ようか。依って若し、時至らざるに事の戒壇と称し立てんとせば、よろしく広宣流布そのものの定義を変え、糊塗せざるを得ない。
  (略)
 或は云う。「上一人より下万民は理想ではあるが、謗法・一闇提の輩はいかに折伏すれども相当数残るは当然と……」
 これ等はこれ凡夫の思慮である。広宣流布はすでに仏意であり、仏力の所作である。
  (略)
 だが大聖人は御書に「終に権経権門の輩を一人もなくせめをとして」(如説修行抄)と仰せ給い、或いは「仙予国王・有徳国王は五百無量の法華経のかたきを打ちて今は釈迦仏となり給う」(四条抄)とせられ、更には「早く天下の静謐を思わば須く国中の謗法を断つべし」(立正安国諭)と誡め、その上「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(治病抄)として邪宗の存在を許し給わず。この矛盾いかに会通すべきか。
  (略)
 かかる御言に跡形もなき己義を以て広宣流布の義を糊塗し、あたかも時が未たかの如く云うのは、まさしく未明をさして真昼と云い、冬をさして春と云うに等しい。  (略)
 かくて一国一同に大聖人にいのちかけて帰依し奉る時が広宣流布である。すでに凡慮の及ぶ所に非ず、故に「ただをかせ給へ、梵天・帝釈の御計として日本国一時に信ずる事あるべし」(上野抄)との仰せを拝するのである。
 かくの如き日本一同の広宣流布の来る事を大聖人は断定せられ、先師はこれを事の広宣流布と仰せられ、その時を事の戒壇建立の時と伝え給う。
 されば、三大秘法抄・一期弘法抄の両抄ともに「時を待つべきのみ」との同一の御念酉を拝するのである。

 新義の「事実上の国立戒壇」論は、過去の自説によりこう否定される。

 ・ 絶対帰依・生命がけの大信心が上一人より下万民に至るまで漲る時
 ・ これが七百年来の宗義である
 ・ 広宣流布そのものの定義を変え、糊塗せざるを得ない
 ・ これ等はこれ凡夫の思慮である
 ・ 大聖人は邪宗の存在を許し給わず。この矛盾いかに会通すべきか。
 ・ あたかも時が来たかの如く云うのは、未明をさして真昼と云い、冬をさして春と云うに等しい
 ・ 一国一同にいのちかけて帰依し奉る時が広宣流布である。すでに凡慮の及ぶ所に非ず
 ・ 時を待つべきのみ

 揚げ足を取ってただあげつらうために、こうした指摘をするのではない。「国立戒壇論」こそ、顕正会の唯一の存在意義であるから、ゆるがせにすることはできないのだ。
 事戒壇の重要な前提である「広宣流布」の定義を、浅井会長は変更したのである。この一点に於いて、教条主義から修正主義への大転換が為されたことに、気づいた人はどれだけいるだろうか。

 正本堂を「御遺命の戒壇」とした惑義を否定するため、「広布の条件を満たしていない」と淺井昭衞氏は論じて来た。ところが今日の種々の悪しき状況において、その「広布の条件」では国が滅んでしまうことになる。過去の自説の論理では、辻褄が合わなくなってしまった
 そこで俄に「六千万・事実上戒壇説」を提唱し、以ってかつての自説で依拠していた御金言 「権経権門の輩を一人もなくせめをとし」も「国中の謗法を断つべし」も「勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」も「日本国一時に信ずる事あるべし」も、浅井会長はここで無視し抛ったのである。
 しかして、いずれ将来このように辻褄が合わなくなることは、当初から自明のことだった。教条的な了解に堂々巡りし、戒壇義の論点に無理があったのだ。ところが、「自説は完璧」と自惚れていた淺井昭衞氏にはそれが見えず、今になって綻びに気づいた。

 今の「六千万・戒壇説」を是とするなら、過去の「糺し訴う」は非となってしまう。されば、御遺命守護の原点たる「糺し訴う」を浅井会長は「悪書」と呼ぶべきだが、それは望むべくもないだろう。
 宗門や創価学会や政治家には厳しい批判をするが、その「批判の論拠」が同時に自らに当てはまることに、浅井会長はついに気づくことがない。境界性・自己愛性の人格破綻だろうか、自分だけは別格で常にダブルスタンダードなのである。他者には「これ等はこれ凡夫の思慮」、「すでに凡慮の及ぶ所に非ず」等と決めつけ、自分の思慮は「凡慮でない」と思っている
 そしてまた 顕正会の幹部諸氏の多くに於いても自分達は特別だと思い、顧みて自ら反省することがないのは悲しい。

 名簿上の顕正会員の大半が「連絡不能」・「消息不明」であることは、 50年以上に渡って組織を掌握し君臨し続けて来た浅井会長であれば、よく承知している。そして顕正会では、その六千万の基本たる「会員名簿」すら満足に整備されていない、というのが本部の寒い実態である。
 そのような虚しい紙切れの「六千万」で、憲法改正等の「国家意志の発動」がどうしてあるだろう。浅井会長は果たして、どこまで<正気>なのだろうか? (櫻川 記 2013年05月28日)