戦争、飢餓、疫病も地球上から消滅
浅井会長は、平成27年9月度総幹部会で 「戦争、飢餓、疫病も地球上から消滅」と述べた。
「このとき、地球上から戦争も、飢餓も、疫病もなくなる。いま人類のいちばんの悩みは戦争ですよ。(略)立正安国論の「国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん」との仰せのままですね。このような悲劇をもたらす戦争も、飢餓も、疫病も、日蓮大聖人の仏法が流布すれば必ず消滅する」(顕正新聞 1356号)
淺井昭衞会長が、いかに仏法を恣意的・独善的に理解しているかということの典型的な例が、ここに見て取れる。
顕正会員諸氏には、浅井会長がここで言っていることのアホさを、よく熟読・玩味してほしい。
1) 仏法は「出世間法」
出世間法とはそもそも、世間法とは次元が違うということ。ここの処を、浅井会長は根本的に錯誤し、誤解している。
富士4号の「仏法とは何か」でも「折伏理論解説書」でも、「世間法は部分観、仏法は全体観」として、世俗のレベルと「同一平面上」で仏法を捉えている。それでは、時間的には三世・空間的には十方という、世間法と時空の範囲の違いでしかない。
創価学会・戸田会長の「仏とは生命だ」や、池田会長の「宇宙を貫く根本原理」と同一平面上の、世俗的理解・解釈と まったく異ならない。
2) 「出世間法」の意義に昏い
そもそも大乗の「空思想」に於いては、「色即是空」・「煩悩即菩提」・「娑婆即寂光」等と言われるが、その「即」をそのままイコールと了解したなら世俗即出世間の、ベタベタの現状肯定になってしまう。
色を離れて空はなく、煩悩を離れて菩提はなく、娑婆を離れて寂光はなく、世俗を離れて出世間はないが、そこに「
而二不二」の妙理があること、
世俗諦と勝議諦の違いと意義に浅井会長は昏い。
仏法が一国に流布し戒壇が建立されても、窃盗や殺人等の凶悪犯罪はなくならないし、台風や地震や火山の噴火もおさまることはない。
法華迹門の戒壇建立の勅許は弘仁13年(822年)、清和天皇より初めての大師号である「伝教大師」の諡号が贈られたのは貞観8年(866年)、そして東日本大地震に匹敵する貞観地震は貞観11年(869年)に起きている。
3) 大火所焼時 我此土安穏
「衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり」(如来寿量品)
「我此土安穏」とは、久遠本佛から見れば「常住之説法」の世界だが、衆生にとっては全てのものが焼き尽くされてしまう現実の「苦」の到来に他ならない。
地球物理学のプレートテクトニクス理論によれば、数億年後にはまた地球上に超巨大大陸が形成されるはずであり、そのときプレート境界にある日本列島は姿を留めていない。
浅井会長が、会員に恐怖を煽るためしばしば引用・参照する著名な地震学者の説は、みなプレートテクトニクス論をベースにしている。来たる巨大地震の恐怖を煽りつつ、将来の列島消滅の未来には目をつぶって「戦争、飢餓、疫病も地球上から消滅」とは、支離滅裂の言い様である。
以前、古参の顕正会員と面談してその点を指摘した際、「仏国出来の暁には、諸天の働きによって地球のプレート運動も停止する」と返答され、のけぞってしまったことがあった。
浅井オカルト言説の洗脳が行き届くと、世間の一般常識やありのままの事実を見えなくさせてしまう。
4) 十界互具・一念三千
法華仏教の基本は、「十界互具」である。「一念三千」も、十界互具なしには、成立しない。
浅井説では、「戦争も、飢餓も、疫病も、..必ず消滅」と、衆生・国土世間に於いて悲惨が消滅することになる。
そんな、人類の歴史や世界情勢を無視したおめでたいことは、あり得ない。なにやら神の国の到来のような、それこそ 縁起・互具の否定である。浅井会長のいう「仏法史観」の浅薄さ、仏法への根本的な勘違いが、ここによく現れている。
「地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり」(諸法実相抄) と。
それにしても、顕正会員諸氏に問いたい。戦争も飢餓も疫病も、近き・近き・近き将来世界からなくなると、そんな夢のような「世迷い言」をいつまで信じて伏せ拝をしているのか。
5) 冷徹な現実の姿
浅井会長が力説するように、「御遺命」を堅持する顕正会がそれほど正しいなら、なぜに顕正会の誓願は達成できないのか?
平成25年までには「必ず一千万を成し遂げる」と、淺井昭衞氏は顕正会会長として、御本仏・日蓮大聖人に誓い奉ったのではなかったか 。
数多くの顕正会員諸氏が、法戦ごとの勧誘ノルマと広布御供養に苦しみ疲弊している実態を、小生は知っている。顕正会は所詮、「浅井商店」でしかない。
世界には、歴史的・文化的背景の違うキリスト教やイスラム教が、流布している。仏法有縁の妙国・日本ですら、仏教界において未だ大小・権実・本迹の勝劣を決せず、大石寺門流は四分五裂である。
正系門家すら異体同心できず、いったいなにを手間取っているのか。
「
一丈のほりを・こへぬもの 十丈・二十丈のほりを・こふべきか」(種種御振舞御書)と。
6) もう目を覚ませ、顕正会員諸氏よ!
池田大作氏の「久遠元初以来の壮挙」とまで増長した野望を砕き、身を挺して「本門戒壇」の意義を死守し奉ったのが、妙信講であったことは事実である。
しかし、星霜四十有余年、淺井昭衞氏は保身のため中枢幹部を排除し、自身の権威・権力を維持し続けて来た。だから、公称170万だの日本国を独走だのと自讃しても実態が伴わず、会員は常にノルマに追われ疲弊している。
顕正会員諸氏よ、全世界から戦争も飢餓も疫病もなくすなどという、勘違いの「夢ものがたり」をいつまで信じ続けるのか。現在84歳の会長が、いつまで存命すると思っているのか。
7) 絶対権力は、絶対的に腐敗する
昨今のフォルクス・ワーゲン等の企業の不祥事も、トップに数十年も独裁的権力者が居続けたことによるという。
淺井昭衞氏は 父である講頭・甚兵衛氏を失脚させ、以来 「法廷闘争」にしても「宗門諫暁」にしても「御遺命守護完結」にしても、一貫不変で自己保身を行動原理として来た。老いてなを、妄想を振りまき続けるオカルト老人に、今やもう点ける薬はない。
顕正会員諸氏には 「御遺命守護」に名を借りた、「とんでも言説」をもう一度点検し、自身の人生を見直していただきたい。これは、浅井氏の妄想に殉じて人生を無駄にしないよう、古参会員からの切なる願いである。
浅井説の意図は、日蓮大聖人の御書に仮託して「非仏教」を騙り、地震や他国の脅威を煽って自身を尊崇させ、独裁組織を維持することにあるのだから。
平成27年12月05日 櫻川 忠 記