顕正会の崩壊は近い


浅井会長の実現不可能な「誇大妄想」を直視しよう!
 

 

      危機感・切迫感・使命感


 顕正会は今や、典型的な「カルト教団」となってしまった。
 そのことを、〈カルト宗教事件の深層 「スピリチュアル・アビュース」 の論理〉(藤田庄市著、春秋社、2017.05)に、見てみよう。

 藤田氏は、盲信や狂信や呪縛という言葉ではとらえ切れない カルト事件の深層に迫るため、「スピリチュアル・アビュース」 という概念を提示している。
  「スピリチュアリティ」(霊性)とは、「超自然的な力や存在に自己が影響を受けている感覚」 である。
 そこに教祖やリーダーが絶対的優越的地位を濫用し、教義や修行・儀礼などの宗教システムで働きかけ、恐怖感による圧迫・焦燥などの切迫感を与えることで信仰者の精神を操作する。

  「アビユース」とは、「濫用する、悪用する」ことであり、「虐待」をも意味する。信仰者を行動に駆りたてるのは、恐怖感・圧迫感・使命感で、信仰をやめることは罪悪とされる。カルト信者は、他から見ると異様な行動を取り、場合によっては犯罪まで犯してしまう。
 カルト教団は精神的・肉体的に会員を従属させ、財産等さまざまな面で信者から収奪する。そして、教団や集団の枠を超えて、ついには社会にまで累を及ぼすに至る。

 しかし、カルト信者は救済の実感や使命感、超越的存在と結ばれているという優越感など、精神的昂揚の中にある。
 「スピリチュアル・アビユース」は、精神の自由・人間の尊厳の重大な侵害そのものである。
 カルトは世俗の常識に反しているし、奇態さや異常さが際立ってスキャンダル性や事件性・特異性に目を奪われてしまうが、カルト現象の根底には「精神の自由の侵害」「人間の尊厳の否定」があることを見失ってはならない。

 この書 「カルト宗教事件の深層」 の最後には、「終章 東日本大震災被災地に響く終末の脅迫 -- ものみの塔と顕正会 --」の章を設け、顕正会員が福島第一原発事故被災地や全国の原発立地 あるいは原発反対集会などで、原発廃絶を主張する機関紙を配布しながら活発な勧誘活動を続けていることを紹介している。
 そして、顕正会員は浅井会長を盲信し、亡国が現実化しつつあるとの思い込みと正本堂崩壊の現証によって、宗教的かつ現実的な危機感・切迫感・使命感を強く持たざるを得ない、と分析している。

 そうした藤田氏の論述は、拙著「迷走する顕正会を斬る」でも言及したことであって、同感するところが多い。
 顕正会員諸氏には、我が身と組織の現状を省み 近い将来(会長滅後)を鑑みて、恐怖感や切迫感の濫用によって精神的に「虐待」されていることに、一刻も早く気づいていただきたい。

 そして、浅井会長に従いながら排斥・粛清・排除・処分され組織を離れた「理事」等の元最高幹部諸氏に、酷かもしれないが小生は問い糺したい。結句、自身がカリスマ会長から「アビユース」されたことは、自業自得果である。
 しかし、あなた方は会長の権威濫用の手先として、どれほどの「虐待」を会員に対して為して来たことか…、その自身の行為に 「忸怩たるものはないのか…!?」、と。