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国立戒壇について
「 化義の広宣流布とは国立戒壇の建立である 」( 創価学会 戸田会長、大白蓮華、昭和31年3月号
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「 我等が政治に関心を持つ所以は、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである 」( 創価学会戸田会長、大白蓮華、昭和31年11月号
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「 国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります 」( 創価学会 池田会長、大白蓮華、昭和31年4月号
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「 国立戒壇の建立だけが目的なのです。化義の広宣流布が創価学会の目的なのである、というのは会長(戸田)先生のお言葉なのです。創価学会の目的は他にないのです。(略)勝手に創価学会が想像してつくった国立戒壇でも戒壇論でもない。日蓮大聖人様の御命令である
」( 創価学会池田会長、大白蓮華、昭和33年9月号
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「 仏命たる富士山に本門寺の戒壇の建立は未だならず、『時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり』のご予言こそ残された唯一の大偉業であり、事の戒壇の建立につきる。これを化儀の広宣流布と称し、国立戒壇の建立というのである 」(創価学会 池田会長、大白蓮華56号
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「 宗祖・開山出世の大事たる政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ 」( 大石寺五十九代 日亨上人、大日蓮華11号
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「 国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。国立戒壇建立こそ、本宗の宿願なり。--- 血脈付法の法主を継げる日昇 ---
『時を待つべきのみ、事の戒法とは之なり』の金言を身に体して、必ず来るべき国立戒壇建立の暁まで守護すべし。後々の法主も一心同体たるべきと確信す
」( 大石寺六十四代 日昇上人、奉安殿落成慶賛文 )
「 蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた
」( 大石寺六十五代 日淳上人、富士一跡門徒存知事の文に就いて )
「 富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である
」( 大石寺六十六代 日達上人、大白蓮華35年1月
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「 事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります 」( 大石寺六十六代 日達上人、大日蓮36年5月
)
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