冨士大石寺顕正会の基礎知識


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顕正新聞 平成十二年十月二十五日号


    日蓮大聖人の御大会式 謹んで奉修
    一代御化導の三つの大事 具さに拝す

        浅井先生の講演

 勤行ののち、浅井先棒より御大会式にちなみ約五十分間にわたって、重大な講演が行われた。
 先生はまず、御大会式の意義と、これを迎えてのご心情を次のごとく述べられた。

 御大会式の意義

 「
御大会式とは、日蓮大聖人の御入滅という深い悲しみの中に、御本仏の常住不滅・常住此説法のお姿を如実に拝し奉り、御遺命たる広宣流布・国立戒壇実現をめざして不惜身命の誓いを新たにする儀式である。
 ゆえに仏弟子にとって、御大会式は最も大事な御報恩の儀式である


 現本部会館で十回の御大会式

 「
顕正会においては発足以来、一度も欠かさずこの御大会式を真心こめて十月十三日に奉修させて頂いてきたが、この本部会館において奉修するのは、本年がもう最後である。
 思えば、この本部会館ができたのが平成二年十一月十五日。それより今日まで、ちょうど十回の御大会式を奉修させて頂いた。

 この十年間を振り返るに、平成二年は、池田大作が大石寺を本門寺と改称して正本堂を御遺命の戒壇にせんと企てた年であった。これを二十万顕正会の信心で粉砕せんと立ち上がり、この陰謀は、その年の秋に粉砕された。
 そして平成九年には一国諌暁に立ち上がり、翌平成十年の四月、戒壇の大御本尊は不思議の還御をあそばし、さらに正本堂が音を立てて崩れた。

 この
凡慮を絶する大現証こそ、まさに大聖人様の『常住此説法』であられる。すなわち“大事な御遺命を破壊することは断じて許さず”との、御本仏の厳たる御説法である。
 そして御遺命を守り奉った顕正会はいま『日本国の中の顕正会』という立場に立つに至った。まさに、平成二年から今日までの十年間を振り返ったとき、わずか十年で、何という大きな変化、偉大な前進があったことか。

 これを以て思うに、今後の十年に、日本国においてどのような現証が現われるか、また広宣流布がどれほど進展するかと思えば、胸躍る思いである。
 ただ大聖人様の御守護を頂き、顕正会は一筋の御奉公を貫くのみである
」と。

 御入減のご尊容

 ついで先生は、弘安五年九月八日、九箇年御在住の身延を出山され、同年十月十三日、武州池上において安祥として御入滅あそばされた大聖人の尊い御姿を偲び奉り、その始終を切々と指導されたが、あたかも御本仏の御入滅を眼前に拝するごとき先生の一言一言に、参列者全員の頬に涙が伝わった。

 そして先生は、次のごとく述べられた。「
御入滅と同時に、大聖人の兼ねての仰せのごとく、大地がゆらゆらと揺れ動いた。これを見て、鎌倉の諸人までも、口々に御本仏の御入滅を悼みまいらせたという。
 またこの時、冬の初めだというのに池上邸の庭の桜が一斉に咲き乱れた。まさに天地法界を挙げて御本仏の御入滅を悲しみ奉り、その瑞を現わしたのである。
 いわんや日興上人以下、門下の御弟子の御悲しみはいかばかりであられたか。この深き悲しみの中に、日興上人・日目上人は、身命を捨てて御遺命を実現するご決意を、いよいよ固め給うたのである。これがすなわち御大会式の大精神である
」と。

 一代御化導の三つの大事

 さらに先生は「
日蓮大聖人の御化導を拝し奉るに、三つの大事がある。一には竜の口における御成道、二には出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊の御図顕、三には日興上人への御付嘱・遺命である」と述べられた上で 立宗以来の不惜身命の御修行ついに成就して、竜の口において久遠元初の自受用身の成道を遂げ給うた重大意義。またこの竜の口で証得されたお覚りの全体を戒壇の大御本尊として顕わし給い、一切衆生に授与あそばされた出世の本懐成就の大慈悲。そして戒壇の大御本尊建立に際しての願主の出現、さらに日興上人への御付嘱・遺命の大事等について、明快に講ぜられた。

 三誡・三請 重請・重誡

 なかでも大聖人の出世の本懐成就について、「三誡・三請、重請・重誡」の義を引いての指導は、広宣流布の時を迎えたいま、時に当たってまことに重大で有難いものであった。

 先生は「
およそ仏様が出世の本懐たる大法を説き給うときには、まず弟子一同に“深き信心に住せよ”と勧め誡められ、弟子また命かけてこの大法を信じ奉ると誓う『三誠・三請、重請・重誡』の手続が必ずある。
 すなわち寿量品において釈尊がまず『
汝等当信解・如来誠諦之語』(汝等当に如来の誠諦の語を信解すべし)と三たび繰り返されるのが三誡。そして弟子一同が『唯願説之・我等当信受仏語』(唯願わくは之を説きたまえ、我等当に仏の語を信受したてまつるべし)と三たび請願するのが三請。
 さらに重ねて弟子がもう一度『
唯願説之・我等当信受仏語』と請うのが重請。これを見て釈尊が『汝等諦聴・如来秘密神通之力』(汝等諦かに聴け、如来密神通の力を)と重ねて誡められるのが重誡である。

 釈尊はこのような厳重な手続きを踏まれたのち、前四十余年に未だ明かさなかった『久遠実成』の大事を、初めて説かれたのである。
 熟脱の釈尊にしてなおしかり。いわんや下種の御本仏・日蓮大聖人が、竜の口で証得された久遠元初の自受用身の御内証を一切衆生に御本尊として説き顕わすにおいておやである。最大深秘の大法なるがゆえに、さらに厳重に深信を促がし給い、大聖人様は繰り返し『深く信解せよ、深く信解せよ』と仰せられるのである
」と。

 さらに先生は、大聖人の御境界を説かれた文底下種の寿量品に約して、戒壇の大御本尊建立における三誡・三請、重請・重誡について解説された。
 すなわち竜の口法難以後、弘安二年の戒壇の大御本尊建立までの大聖人のすべての御振舞い、すべての御書は、日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身であられ、その御当体が事の一念三千の南無妙法蓮華経であられることを、一切衆生に深く信ぜしめるための「三誡・重誡」に当たること。

 また熱原の大法難の真っ只中、そして大御本尊建立の直前の「出世本懐成就御書」において、全門下に対し
 「
各々師子王の心を取り出だして、いかに人威すとも怖づる事なかれ。師子王は百獣に怖ぢず、師子の子又かくのごとし
 「
一定として平等も城等もいかりて此の一門をさんざんとなす事出来せば、眼をひさいで観念せよ
 「
ただ一円に思い切れ、よからんは不思議、わるからんは一定と思へ
 等と、不惜身命の信心を再三・再四促し給うたことは、別しての「三誡・重誡」に当たること。

 さらに、この大聖人の御心を拝し奉り、「この国に久遠元初の御本仏まします。一切衆生、早く帰依して南無妙法蓮華経と唱うべし」と、富士一帯に猛烈なる死身弘法を展開せられた日興上人の御振舞いと、この日興上人の御教導により出現した熱原の法華講衆が、平左衛門の再三・再四の責めにも屈せず、大聖人に南無し奉る一心欲見仏・不自惜身命の信心で「南無妙法蓮華経」と唱え奉ったことこそ、「
唯願説之・我等当信受仏語」の「三請・重請」に当たること。

 これら身震いするような甚深の義を、先生は平易に説き明かされたが、参列者一同は吸い込まれるように聞き入り、形容しがたい感動が場内にみなぎった。
 また講演のなかで、熱原法華講衆の大聖人に南無し奉る不惜身命の信心を熱烈に説かれるや、場内にはすすり泣きの声が満ちた。

 純粋捨身の信心が漲る時

 最後に先生は次のように気魄をこめて結ばれた。

 「
ここに思うに、大聖人様の御遺命の国立戒壇はいつ実現するかといえば、末法濁悪の日本国に、熱原の法華講衆のごとき純粋・捨身の信心がみなぎる時である。このとき初めて戒壇の大御本尊は、国立戒壇にお出ましになる。
 現在の正系門家を見るに、学会は国立戒壇の御遺命を破壊せんとした。また宗門はこれに諮って国立戒壇を放棄してしまった。これらの輩に、どうして大事が成し得ようか。
 その腐敗堕落は言うも愚か、すでに被らは師敵対である。ここに正系門家の中で、ひとり御遺命を守り奉った顕正会こそ、熱原の法華講衆の信心を鑑として大聖人様に応え奉らなければならない。

 すでに広布前夜の三災七難は刻々と色を増しつつある。なかんずく巨大地震の切迫は、すでにあらゆる学者の指摘するところである。もしこの巨大地震が起こるならば、それこそ他国侵逼の前相である。先ほど奉読の立正安国論の『
其の時、何んが為んや』の御誡めが、肌身に迫る。
 何としても広宣流布のテンポを早めなくてはならない。本日の御大会式を期して、全顕正会員いよいよ死身弘法の決意を堅め、大聖人様に応え奉ろうではないか


 先生の烈々の指導は全参列者の魂を揺さぶり、深い感動のなか、全員が“いまこそ不惜身命の信心で御遺命達成を…”との燃えるような決意を固めた。
 かくて厳粛と報恩の赤誠みなぎるなかに、御大会式のすべては三時ちょうどに終了した。




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