冨士大石寺顕正会の基礎知識


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顕正新聞 平成十三年一月五日号

広宣流布の最終段階を迎えて
    年頭の辞 大事には小瑞なし
      冨士大石寺 顕正会 会長 浅井昭衞

 広宣流布・国立戒壇建立は、御本仏日蓮大聖人の究極の大願、唯一の御遺命である。ゆえに冨士大石寺門流においては、この実現を唯一の悲願・宿願として、折伏弘通に励んできたのであった。

 そしていま、大聖人御入滅よりすでに七百二十年 --- 。広宣流布はいよいよ最終段階を迎えたごとくである。
 そのゆえは、未曾有の大悪が正系門家に起きたからである。

 大聖人は仰せ給う。「
大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる」と。小事が順調の積み重ねの上に成ることは「小事こそ善よりは起こて候へ」の御指南のごとくである。
 しかし広宣流布・国立戒壇建立ほどの大事ともなれば、順調の上に成ることはあり得ない。必ず未曾有の大悪が起きて、始めて大事が成就されるのである。

 いまその未曾有の大悪が、仏法の世界に起きた。すなわち正系門家において、大事の御遺命が破壊されんとしたことである。第六十六、七代の二代にわたる貫首は、天魔その身に入りし池田大作に諂い、あろうことか正本堂を御遺命の戒壇とたばかり、国立戒壇を永久に放棄する旨の宗門決定を下したのであった。

 貫首として、命を賭しても守るべき御本仏の御遺命を、貫首自らが破壊せんとしたこと、これに勝る師敵対はない。
 この大罰は直ちに現われた。六十六、七代の間において、御相承の授受不能という異常事態が招来された。これまた七百年来曽ってなき大悪である。

 かくのごとき大悪が起これば、大善の来たることは疑いない。まさに知るべきである。御遺命が破壊されんとした大悪こそ、御遺命成就の大瑞。また御相承授受不能の異常事態こそ、日目上人御出現の大瑞ではないか。

 仏法にこのような大悪がおこれば、世間もまた濁乱する。

 見よ。「
一切の人衆皆善心無く……」の御金言そのままに、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒倍増がもたらす凶悪犯罪は、いま一国社会を覆いつつある。また政治家はみな国を忘れて利権漁りに、現(うつつ)を抜かし、その無責任のもたらすところ、今や国家財政の破綻は不可避となってしまった。これすべて亡国の兆である。

 そして国家における大悪は、他国侵逼の大難である。その前相たる巨大地震はすでに足元に迫っている。
 撰時抄を拝見すれば、一国の謗法により他国侵逼おこるとき、国を惜しみ、身を惜しむゆえに、一国一同始めて「
南無日蓮大聖人」と手を合わせ、「南無妙法蓮華経」と唱えるに至るとの、重大な御予言がある。隣国の不穏の動きを見るとき、広宣流布はまさに最終段階を迎えていると云わねばならぬ。

 このとき御奉公するのは、理不尽なる解散処分を受けるとも御遺命を死守し奉った、七十六万の仏弟子の大集団・顕正会以外に、日本国に誰人がいようか。
 すでに三災七難を乗り越え戦う本陣も築かれた。新しい戦い、最終段階の戦いを起こし、大聖人様に応え奉らねばならない。顕正会の一筋の死身弘法の行く手に、必ずや広宣流布がある。
 「
日本国一時に信ずる事あるべし」の第二の不思議を拝見させて頂くその日まで、御生骨が光りを放つその日まで、一筋の忠誠を貫き通し、大聖人様のお誉めを賜わろうではないか。



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