|
顕正新聞 平成十三年四月二十五日号
四月度御書講義「四条金吾殿御返事」を拝読
“肚を決め切ったとき成仏が決まる”
四月度御書講義が四日、川口総合文化センターで浅井先生によって行われた。
拝読御書は先月に引き続き「四条金吾殿御返事」で、今月は建治三年七月御述作の御書であった。
本抄は“法華経の信仰をやめねば所領没収”との絶体絶命の窮地のなか、信仰を貫くことを大聖人に誓い奉った四条金吾殿に対して、その捨身の信心を称讃あそばすとともに、さらに一重の肚を決め切ることを促し給い、最後に主君に必ず大罰あることを断言されたもので、広布前夜のさまざまな魔障の中で戦う顕正会員にとって、まことに有難い御書であった。
先生の講義は気塊に満ち、かつわかり易く、場内には云い知れぬ感動と燃えるような決意がうず巻いた。
この日、参集の受講者は首都圏在住の班長以上の幹部三、二〇〇余名。全員、ワクワクするような歓喜をみなぎらせて早々と着席、拝読御書を凝視しながら、いまや遅しと講義開始を待つ。
定刻を十五分繰り上げた午後六時四十五分、浅井先生が教壇に立たれる。初めに矢島男子部長のリードにより全員で御書を拝読。
先生は本文の講義に先立って、鎌倉の大聖人門下における重鎮であった四条殿に対して、なにゆえ主君から理不尽な迫害が加えられたのか、これを企んだ邪僧・良観房の卑劣な謀略を述べられるとともに、大聖人の御化導の上からみたとき、この良観房の策謀こそ、大聖人に南無し奉る四条穀を始めとする門下の有力者の退転を謀り、御本仏の出世の本懐成就を妨げんとした天魔の働きであることを解説された。
ついで講義は、本文に入り、一段ごとに奔流のごとく進められた。
初めの段は、“たとえ所領没収になるとも断じて起請文は書かず”と大聖人に誓い奉った四条殿の捨身の振舞いが、いかに有ること難く不思議なものであるかを称えられた段。
次に、この四条殿にさらに“いま一重の肚を決め切れ”と大慈悲の御教誡を下された段。そして、大聖人が代作あそばされた「頼基陳状」によせて「大悪をこれば大善きたる」との大事な原理をお示し下された段。
さらに“奉行人に諂わぬ毅然たる振舞いを貫け”との御教示と、“もし所領を没収するならば主君に再び病が還るであろう”と必ず大罰あることを断言あそばされた段。
--- これら数々の有難い御指南が示され一段一段を、先生は明快に、そして気魄をこめて講ぜられた。
受講者全員は時の経つのも忘れて吸いこまれるように聞き入り、場内には名状しがたい感動がうず巻いた。
ことに先月の御書講義で、主君が罰が現れた直後の「仏法と申すは勝負を先とす」との御指南を拝したあとだけに、なをいっそう大聖人の大慈大悲の御心が命に染み入り、本抄の有難さが全員の胸に迫った。
また「普賢・文殊等なを末代はいかんがと仏思し食して妙法蓮華経の五字をば地涌千界の上首・上行等の四人にこそ仰せつけられ … 」との段で先生は、法華経における釈尊の末法弘通の予言証明に関連して、四菩薩(上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩)について大事な見解を示された。
講義の結びに先生は「小事こそ善よりはをこて候え、大事になりぬれば必ず大なるさはぎが大なる幸となるなり」との御文を引いて、大事には必ず「大なる騒ぎ」があることを、大聖人の一代化導における竜の口の大法難と熱原の大法難、また顕正会の御遺命守護の戦い等を挙げて示され、最後に次のように力強く結ばれた。
「この御文を拝して、さらに将来の広宣流布を思うに、日本国に大なる騒ぎなくして広布が成ることはありえない。遠からず日本は、巨大地震と国家破産という二つの氷山にぶつかる。その中に顕正会の折伏はしんしんと進み、一国諌暁また連々と行われる。
かくて一国において、日蓮大聖人を信ずるか、敵対するかの「大なる騒ぎ」が起こる。このとき、他国侵逼が起こり、この厳然の賞罰により、ついに『日本国一時に信ずる事あるべし』の大事が事相となる。
いま全顕正会員一人ひとりの真剣なる折伏が、この機運を作っているのである。広布前夜に生まれ合わせた地涌の流類として、大聖人様に応え奉る大所伏を、堂々と進めようではないか」と。
以上、先生の魂をゆさぶるような烈々の講義は一時間三十五分。終了とともに大拍手が会場をゆるがした。
なお本講義の大感動は、全国六百十二会場で開催されたビデオ放映により、いま全顕正会員の中に大波動となって広がりつつある。
五月「顕正新開」購読を推進
|
|
戻る
|