冨士大石寺顕正会の基礎知識


menu

  概要
  沿革
  規約
  目的
  会館
  弘通
  広報
  出版
  教義
  Q&A
  メール
  更新
顕正新聞 平成十三年五月二十五日号

壮年部 重厚熱烈 広布に出陣
   八千人が結集した壮年部大会
   広布の歴史に残る『壮年部大会』


 壮年部がいよいよ広宣流布に出陣した --- 冨士大石寺顕正会・壮年都大会は、五月六日、国立横浜国際会議場で熱烈に開催された。
 この日、北は北海道から南は石垣島に至る列島各地から、勇躍して馳せ参じた壮年部員は「結集誓願五千」を大きく上回る七千九三四名。まさに大地から躍り出た地涌の流類が、一堂に会した感がある。

 開会の四時間も前から、会場前には長蛇の列ができた。開場と同時に、広大なホールはまたたくまに通路まで埋め尽くされ、ロビーには臨時席が設けられたがそれでも収まらず、付添の女子部・婦人部の為に用意された第二会場にまで壮年部員が入り、第三・第四・第五会場までが急遽設けられた。

  開会

 定刻を繰り上げて午後〇時四十五分、ゆっくりと緞帳が上がる。いよいよ開会である。
 正面の舞台には、色鮮やかに「冨士大石寺顕正会・壮年部大会」の大文字が掲げられ、舞台上には百余名の壮年部代表幹部が礼服に威儀を正して並ぶ。場内は黒一色、水を打ったような静寂と緊張がただよう。

 司会の大野耕太郎藤沢地区部長が立ち、「ただいまより冨士大石寺顕正会・壮年都大会を開会いたします」と力強く開会を宣言。同時に勇壮なドラム演奏が場内を圧する。
 高まる緊張、こみ上げる感動のなか、壮年部旗の先導のもと、会長・浅井先生が入場される。場内から大拍手が巻き起こる。先生の着席と同時に、全員で「広宣流布の大行進」を大合唱。

 ( 略 )

  浅井先生の講演

 固唾をのんで待つ全員に、先生はまず「
広宣流布の前夜を迎え、壮年部がいよいよ大地から躍り出たという感じである。……いま、国亡びんとする予兆月々日々に色濃くなるなか、日蓮大聖人を命かけて信じ、国を救わんと、このように団結している壮年の大集団が、日本国のどこにあろうか。まさに顕正会壮年部こそ、日本第一の壮年部である」と全国より馳せ参じた壮年部八千名の信心の熱誠を称讃された。このお言葉に、この日を夢にまで見て戦ってきた全幹部の胸に、熱きものが突き上げる。

 ついで先生は声を大に叫ばれた。「
壮年は家庭においては一家の柱、職場においては中核、そして人生の哀歓を知り、世の中の裏も表も知っている。この壮年が、日蓮大聖人の仏法を命かけて信じ団結して立つとき、日蓮大聖人の仏法はいよいよ重みを増し、広宣流布は一段と迫力を増すのである。……本日の壮年部大会こそ、日本の全壮年に、この有難い三大秘法を持たしむる戦いの出陣式である。どうか地涌の菩薩の面目にかけて、壮年部一結して敢然と立ち上がってほしい
 魂をゆさぶる大号令に、八千の壮年部員は感動と決意こもる大拍手を以て応えた。

 次に先生は、人生の確信を失い犯罪や自殺に走る壮年が激増しつつある世相にふれられたのち、弥源太殿御返事の「
日蓮を杖・柱ともたのみ給うべし。嶮しき山、悪しき道、杖をつきぬれば倒れず。殊に手を引かれぬればまろぶ事なし」の御金言を引いて、日蓮大聖人の仏法こそ現当二世の幸福を得る根本の生活法であることを懇切に指導されるとともに、仏法は空論ではなく証拠を以て論ずるものとして、@人の臨終 A竜の口 B他国侵逼の予言適中、等の大現証を挙げて解説された。そして強々と叫ばれた。
 「
この否定し得ぬ眼前の事実を見て、誰人が仏法を疑い得ようか、日蓮大聖人を信ぜぬ者があろうかと、私は声を大にして日本の人々に叫びたい

 「
どうか壮年部は、一人ひとりが肚を決めた信心に立って、一生を終えたとき『まことに大聖人様の仰せの通りでございました』『こんなにも大功徳を頂きました』とご報告できるような信心に立ってほしい。そしてこの凄い仏法を、何としても早く日本の全壮年に教えたい。『この仏法は力があるんだ、賞罰が厳然なんだ、やらなければ自分が損をする。いや、このままでは日本が持たないんだ』と。壮年部は仏様の使いとしてこれを言い切り、一気に広宣流布を進めてほしい
 八千名の壮年部員は、先生が示された誰人も否定できぬ身震いするような大現証に、確信のかたまりとなり、その熱き思いは万雷の大拍手となった。

 さらに先生は、漂流する日本に「国家破産と巨大地震」の二つの氷山が激突せんとしているとして、これを具さに説明されると共に、この後に待ち受ける亡国の大難・他国侵逼から日本を救う方法は広宣流布以外になく、その実現に戦う資格は、御遺命を命かけて守護し奉った顕正会以外にはないことを強々と断言、最後に烈々たる気魄で叫ばれた。

 「
学会と宗門は一体になって、国立戒壇の正義を叫ぶ顕正会を憎み抹殺せんとした。……しかるに、解散当時一万二千だった顕正会はこの六月には八十万になる。こんな不思議な事はない。凡夫の力で、どうしてこのようなことがなし得ようか。これひとえに、大聖人様の御守護以外には断じてない。この御守護こそ、大聖人様が顕正会に “広宣流布をせよ”と御命令下されていることなのである。この仏勅を聞き奉るゆえに、私は『不思議の還御』を拝見したとき、紅の涙のなかに、一千万の死身弘法を大聖人様に誓い奉った

 「
広布の最終段階に至ったいま、ここに壮年部の重厚にして熱烈なる「出陣式」を見る。悦びこれに過ぎるはない。さあ、あと十有余年、共に励まし、一筋の忠誠を貫き御奉公を成し遂げ、大聖人機のお褒めを賜ろうではないか

 火を吐くような師子吼は満場をゆるがし、八千の壮年部員はこみ上げる大感動のなか、「先生と運命を共に…」の決意を堅めた。
 「両眼滝のその日まで」は、文字通り“両眼滝”の大合唱となった。最後、先生は満場をゆるがす嵐のような大拍手に、両手を挙げて幾度も応えられ、壮年部旗と共に退場された。かくて壮年部大会のすべては終了。まさに歴史的な壮年部大会であった。




                戻る


「 冨士大石寺顕正会の基礎知識 」サイト運営責任者 櫻川 忠