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顕正新聞 平成十四年二月十五日号
浅井先生講演・日興上人御報恩勤行会
五老僧は忽ち大聖人を忘れ師敵対
日興上人御一人、御遺命のまま一貫不変
「原殿御返事」
身延沢を罷り出で候事、面目なさ、本意なさ、申し尽し難く候えども、打ち還し案じ候えば、いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて世に立て候わん事こそ詮にて候え。さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ侯いぬ。
日興一人、本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚え候えば、本意忘るること無く候。
本日は、二祖日興上人が正慶二年二月七日、御歳八十八歳で御遷化あそばされてより、ちょうど六百七十年の祥月ご命日であります。よってただいま、謹んで御報恩の勤行会を奉修させて頂いた次第であります。
末法下種の僧宝 日興上人こそ、御本仏日蓮大聖人の御化導を助けまいらせるために、出現せられたお方であります。
末法下種の僧宝
ゆえにその御境界はまさしく「唯仏与仏」であられる。方便品に「唯仏与仏・乃能究尽」とありますが、唯仏とは日蓮大聖人、与仏とは日興上人です。すなわち大聖人のお覚りのすべてを、日興上人だけがおわかりになっておられたということであります。
ですから、門下に日昭・日朗等の御弟子数多くあるといえども、大聖人の甚深の御内証は誰一人わからない。ただ日興上人だけが、日蓮大聖人を即久遠元初の自受用身と拝し奉っておられたのであります。
そして大聖人様の有難い下種の大法・三大秘法を、末法万年に正しく清らかにお伝え下された。もし日興上人ましまさずば、末代の私たちがどうして三大秘法を受持することができたでありましょうか。この大恩徳のゆえに、日興上人を「末法下種の僧宝」と仰ぎ奉るのであります。
常随給仕
日興上人が大聖人に値い奉ったのは十三歳のときです。それより八十八歳の御遷化まで、その年月は実に七十五年であります。
そして日興上人が大聖人様に値い奉ってまもなく、大聖人の御身には、法難が波のごとく起きてまいりました。
まず立正安国論の諌暁に端を発して、松葉ヶ谷の草庵襲撃が起き、また伊豆の流罪、さらに竜の口の大法難、引き続き佐渡流罪と。これら大聖人様の御法難に、日興上人は影の身に添うがごとく片時も離れず御供し、献身の常随給仕をされております。
死身弘法
そして大聖人様が一切の身業読誦を終えて身延に入山せられるや、いよいよ日興上人の猛折伏が開始されたのです。
このお心を拝せば、ただひとえに「この国に下種の御本仏まします。日本国の一切衆生、早くこの御本仏に帰依し、南無妙法蓮華経と唱え奉るべし」というにあられる。
そしてこの大規模の弘通の中に、あの熱原の法華講衆も出現しているのです。平左衛門の責めにも屈せず、身命も惜しまず「唯願説之・我等当信受仏語」の立場を貫かれたあの熱原の法華講衆も、実に日興上人の大信力によって出現しているのであります。
そして大聖人の御入滅の後においては、実に五十一年間にわたって広宣流布の礎を築いて下さった。この五十一年間の日興上人の御振舞いの中に、我ら末弟がどのような信心で大聖人に御奉公申し上げるべきかが、はっきりと示されているのであります。
身延離山
なかんずく、身延離山の御振舞いは重大です。その御心はただいま拝読した原殿御返事にあらわれております。すなわち“濁れる安易を捨てて、大聖人様の御遺命を重しとされた”のが、その御精神であります。
御文を拝します。まず「身延沢を罷り出で候事、面目なさ、本意なさ、申し尽し難く候えども」と。この短い一行の中に、身延を去るにあたっての、日興上人の万感の思いが込められております。
民部日向の諂いと煽動によって無智の地頭・波木井日円が謗法に陥り、ついにいま身延を去るに至ったとはいえ、この身延の地は先師大聖人が九ヶ年御在住の処、また御自身も大聖人より身延山久遠寺の付嘱を受けて七ヶ年居住された処である。また日興上人がお去りになった後、信心のわからぬ地頭の波木井はどのようになっていくことか、行く末を思えば不憫である。これらのことを思えば、仏法の筋目からは濁れる地は去らねばならぬ、さりとて情の上からは忍びがたい。この万感の思いが、この短い一行の中に込められているのであります。
次いで「打ち還し案じ侯えば、いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて世に立て候わん事こそ詮にて候え」 --- しかしながら打ち返し案ずるとき、いかなる場所であろうと、大聖人の仏法を正しく受け継いで世に立てることこそが肝要なのである
--- と。
「さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ」 --- そのようなことがあってはならぬと思うところに、門下の御弟子ことごとく師敵対に陥ってしまった、大聖人の法義に背いてしまった。
「日興一人、本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚え候えば、本意忘るること無く候」 --- 日興一人、御本仏日蓮大聖人の正義を知って御遺命を遂げ奉るべき立場にあれば、その本意を忘れたことはない
--- と仰せられる。
まさに大聖人様の御遺命を奉じての、鉄石のご決意を、この御文に拝するものであります。
五老僧の変節
では、五老僧は、なぜに大聖人御入滅後ほどなくして、師敵対に陥ってしまったのであろうか。
日昭・日朗等五老僧といわれる錚々たる高僧が、なぜあっという間に「日蓮大聖人の弟子」という立場を抛って「天台沙門」と名乗ったり、念仏・真言等の邪宗の坊主と肩を並べて、国家安泰の祈祷をしたのか。まことに大聖人の御義に背くこと甚しい、恐るべき師敵対です。
これ、幕府の威しに値うや、たちまちに大聖人を忘れてしまったからです。大聖人ましますときは大聖人様の偉大なお力に守られて、師は針のごとく弟子は糸のごとくに進むことができたが、ひとりになってしまうと、弾圧があれば、あっという間に大聖人様を忘れてしまう。ここにたちまちに変節し、師敵対に陥るのであります。
一貫不変
しかし日興上人は一念も大聖人を忘れ給わず、そのご胸中にはいつも大聖人様がましました。ゆえに五十一年間、一貫不変であられた。ここに「日興一人、本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚え候えば、本意忘るること無く候」との仰せがある。
そして、三祖日目上人また一念も大聖人を忘れ給わず、よって最後の御申状に「日目、先師の地望を遂げんがために、後日の天奏に達せしむ」と仰せられるのであります。
ここにいま広宣流布の前夜を迎えて、顕正会はこの日興上人・日目上人のご精神を仰ぎまいらせるがゆえに、宗門・学会ともに御遺命に背き師敵対のなか、一筋に大聖人様に忠誠を貫けること、これほど有難いことはない。
いよいよ広布最終段階の御奉公、命かけて貫かせて頂こうではありませんか。
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