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顕正新聞 平成十四年六月十五日号
聖徳太子、仏法根源に新しい日本築く
諂わず虚勢もなく大国・隋と対等の国交
( 日曜勤行、浅井先生指導
)
此の王の御代に聖徳太子生まれ給へり。用明の御子、敏達のをいなり。(乃至)太子八歳なりしに、八歳の太子云く「西国の聖人釈迦牟尼仏の遺像末世に之を尊めば則ち禍を銷し福を蒙る之を蔑れば則ち災を招き寿を縮む」等云云。(四条金吾殿御返事)
この御文は「聖徳太子のことについて仰せられた四条抄の一節であります。
-- 第三十一代の敏達天皇の御代に聖徳太子は誕生された。用明天皇の御子であり、敏達天皇には甥にあたる。この聖徳太子が八歳になったとき、仏法に反対している豪族の物部等にこう云われた。「西の聖人の釈迦牟尼の遺像を末世にこれを尊めば、禍いを消し福を得る。もしこれを蔑るならば、災いを招き寿命を縮め」 -- と。
わずか八歳で
八歳の聖徳太子がこれを言ったとは、たいへんなことですね。日本に仏教が始めて渡って来たのが第三十代欽明天皇の第十三年です。このとき金銅の釈迦像と経典が、朝鮮半島の百済の国から献上された。そして、その二十二年後に、聖徳太子が誕生している。太子は生まれながらにして仏法に深い宿縁を持った人です。
だからこそ、わずか八歳でこのような事が言えたのです。この言葉はまさに一言にして、仏法の功徳と罰を教えたもの、仏法は生活法だということを言ったものです。太子の時は像法時代であるから、「釈迦牟尼仏の遺像」にこのように力があった。しかしいま末法においては、日蓮大聖人の遺し給うた御本尊に、さらに絶大の功徳と罰の力があるのであります。
観音菩薩の再誕
さて、聖徳太子という人は、日本に始めて仏法を確立した。この仏法上の宿縁を尋ねれば、ただ人ではない。観音菩薩の再誕であります。
釈尊が法華経を説いたとき、上行菩薩を上首とした六万恒河沙の本化地涌の菩薩が出現したことは皆さんのよく知るところですが、同時にこの会座には、無数の迹化の菩薩も連なっいてた。この中に観音菩薩や薬王等の菩薩もいたのです。そして観音菩薩は中国に南岳大師として出現し、薬王菩薩は同じく中国に天台大師として出現した。南岳は天台の師匠ですね。そして共に法華経の義を中国に弘めたのです。
ゆえに大聖人様は観心本尊抄に「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現し出現して、迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して、百界千如・一念三千其の義を尽せり。但理具を論じて、事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊、未だ広く之を行ぜず」と。
このように南岳・天台は法華経の本迹二門についてはその義を尽くして中国に弘めたが、寿量品文底の三大秘法については全く弘めることはなかった。迹化の菩薩なるがゆえであります。そしてこの南岳大師の後身が聖徳太子であり、天台大師の後身が日本の伝教大師なのです。
だから聖徳太子は、小野妹子を遣隋使として派遣したとき、「前生所持の法華経」と言って、南岳大師として前生に所持していた法華経一部八巻を、妹子に持って来させているのであります。
国家の根底に仏法を
聖徳太子は、女帝・推古天皇の摂政という立場であったが、事実上は日本国の国主です。太子が並みの政治家と異なるところは、仏法を根底として国家を築いたことです。太子が自ら作った十七条憲法の第二条には「篤く三宝を敬え」とある。そして法華経を鎮護国家の根本教典とし、さらに男子には維摩経を、女性には勝鬘経を学ばせ、自らも法華経の講義をしている。
このように国家の根底に法華経を置いたことにより、日本民族に生き生きとした生命力がみなぎり、後世に輝く「飛鳥時代」という、新しい日本が築かれたのであります。
「日出づる処の天子」
ことにいま時に当って思うことは、太子の中国に対する外交姿勢です。当時の中国は、隋が陳を滅ぼして統一を成し遂げ、その勢いは当るべからざるものがあった。その皇帝は煬帝という。周囲の小国はもっぱら朝貢につとめ、そのご機嫌を伺うのに汲々としていた。
この隋の煬帝に、聖徳太子は使者を送ったのです。その使者の携えた国書に何と書いてあったか。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや…」と。太陽の出る国の天子が、国書を太陽の没する国の天子に送る。ご無事ですか
-- というものです。
日本からの使者というから、煬帝はさぞかし東方の小国日本からの朝貢と思ったに違いない。しかるに、大国の隋と対等の国交を求める国書だったのです。煬帝は烈火のごとくに怒った。ところが、どうしたことか、煬帝はこれを容れた。
恐らく、聖徳太子の国書をじっと見ているうちに、この諂わぬ姿勢はどこから生ずるのか、日本というのはただの国ではない、ということを感じたのでしょう。以来、小さな日本と大国・隋が対等の外交関係を結び、隋から使者が来る、日本からも遺隋使が派遣されるということになったのです。
仏法に基づく確信
この国書に見るごとく、聖徳太子の姿勢は、諂いでもなければ虚勢のハッタリでもない。その根底には仏法に基づく確信があった。当時の中国は仏法が失われつつあり、日本は仏法興隆の時を迎えている。
しかも、やがてこの国に久遠元初の下種の御本仏がご出現になる。これが「日出づる処」の深意です。この確信をもとに認めた国書なればこそ、諸天の守護を得て、自然と煬帝の心を動かしたのであります。
どこまで蔑られるのか
これを以て思うに、先日の総幹部会でも申しましたが、いまの日本の対中国外交はあまりにも情けない。六兆円からの経済援助をしながら、ナメられ切っている。中国はそのカネで核ミサイルを作り、しかもその照準は日本に向けられている。すでに日本は死命を制せられているのです。いまインドとパキスタンの核戦争がどうなるかと、世界中がかたずをのんで見守っているが、貧しいパキスタンに核ミサイルを輸出したのは中国ではないか。さらに世界中に武器輸出をして不穏な空気を醸成している。
このような国に、六兆円もの経済援助をするとは、どういうことなのか。そして先般、日本総領事館の不可侵権が侵害された。日本政府は口先だけ「身柄をよこせ」「謝罪せよ」「譲歩はあり得ない」などと言ったが、すべて無視された。だが小泉首相などは、謝罪を求めたことなどもう忘れたかのごとく、ヘラヘラしてダービーを観ている。
「もし謝罪をしなければ、ODA(政府開発援助)などは打ち切る」「まやかしの日中国交三十周年記念行事などはやめる」ぐらいのことが、なぜ言えないのか。
「聖人国に在るは」
江沢民は、北京詣でをする媚中派・拝中派の卑屈な政治家しか知らぬから、どこまでも日本をナメるのです。彼は未だ、この日本に下種の御本仏が出現されたことを知らない。
滝泉寺申状には「聖人国に在るは、日本国の大喜にして蒙古国の大憂なり」と。日蓮大聖人の大恩徳を、日本に、世界に顕わすことこそ、立正安国の実践であります。この戦いを為す者は、顕正会以外には断じてない。
さあ、一気に広宣流布を進めようではないか。
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