冨士大石寺顕正会の基礎知識


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顕正新聞 平成十四年十月十五日号


     特別講義 「日蓮大聖人一代御化導の大綱」
       大慈大悲の御振舞いに大感動渦まく

  特別講義 「日蓮大聖人一代御化導の大綱」
           ( 要旨 )

 いずれの会場でも、カラー刷りの年表を初めて手にした人たちから歓声が挙がる。場内には開始前よりワクワクするような歓喜がみなぎり、年表を開きながら、いまや遅しと開始を待つ。各会場とも、定刻きっかりにビデオのスイッチが入れられると、浅井先生が演壇に進まれ、参加者の目はいっせいに画面に注がれる。

 一代御化導の肝要が年表に

 全員が息を呑んで聞き入るなか、先生はまず次のごとく述べられた。
 「
日蓮大聖人一代御化導の大綱はまことに大事である。この一枚の年表の中に、一代三十年の御化導の肝要がすべて収められている。心を沈めてこれを拝見し奉れば、三大秘法を以て一切衆生を現当に救わんとあそばす大聖人様の、忍難慈勝のお振舞いの一つひとつが瞼に浮かび、思わず熱きものが込み上げてくる。この大慈大悲の御心を命に刻むことこそ、広布最終段階に御奉公する顕正会員にとって最も大事であり、今後の御奉公の支えとなるのである」と。

 序・正・流通の三段

 ついで先生は仏紀・年号・聖寿・在所・諸天の働き等、年表の構成について簡潔に説明されたのち「
大聖人の一代御化導の目的は、法華経本門寿量品の文底に秘沈された三大秘法を顕わし給うにある。そしてその一代御化導に、序分・正宗分・流通分の三段がある」として、序・正・流通の三段を次のごとく示された。
 「
序分とは準備段階のことであり、立宗より竜の口法難の前夜までがこれに当る。この段階は、もっぱら諸宗の謗法を破折されて三類の強敵を招き給うておられる。正宗分とは、目的たる法体そのものを説き顕わす段階であり、竜の口の御成道より戒壇の大御本尊ご建立までがこれに当る。すなわち竜の口で久遠元初の自受用身と顕われ給うたそのお覚りの全体を、戒壇の大御本尊に図顕あそばしたのである。このとき熱原の法華講衆の不惜身命の『唯願説之』があった。そして流通分とは、法体を後世に流れ通わすための段階で、戒壇の大御本尊御建立以後、御入滅までがそれに当たる。すなわち戒壇の大御本尊の無量無辺の功徳を日本乃至全世界に及ぼすべく、本門戒壇の建立に甚深の聖意を注ぎ給うておられる。御遺命とはまさしくこれである」と。

 忍難慈勝の御振舞

 ついで講義は、一代御化導の肝要が示された年表に基づき、奔流のごとく進められた。御年三十二歳、我が身は宇宙法界すなわち一念三千の南無妙法蓮華経であることを知り給い、初めて本門の題目を唱え出され、「
日本一国に此れをしれる者、但日蓮一人なり……いわずば慈悲なきににたり……今度、強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ」と立宗あそばされたこと。そして他国侵逼の崩しもない文応元年に、正嘉の大地震をその前相と判ぜられ、一切衆生を現当に救わんと立正安国論を以て国主を諌暁あそばされたこと。以来、松葉ヶ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難と、身命に及ぶ大難が波のごとく押し寄せた。

 そしてついに竜の口の頸の座において、立宗以来の不借身命の御修行成就して、法界を自身と開く久遠元初の自受用身と顕われ給うたこと。そして、この竜の口におけるお覚りの全体を立宗より二十七年目の弘安二年に「
本門戒壇の大御本尊」として顕わされ、全人類に授与あそばされたこと。この出世の本懐成就の時を迎えて、門下の弟子に様々な迫害が起こった。そしてこの迫害にも退せぬ弟子の不惜身命の信心が、弟子の「唯願説之」に当ること。
 中にも、日興上人の御教導により出現した熱原の法華講衆が、平左衛門の再三・再四の責めにも屈せず、身命を捨てて「
南無妙法蓮華経」と唱え奉ったことこそ、門下を代表しての「唯願説之」に当たること。この戒壇の大御本尊こそ全人類成仏の法体であり、この大御本尊を日興上人に付嘱され、広宣流布の暁に国立戒壇に奉安すべきを御遺命されたこと。
 二度にわたる蒙古の責めは、日本一同を無間地獄の大苦より救わんとされる大聖人の大慈大悲であり、この蒙古の襲来にもかかわらず日本が亡びなかったのは、諸天に「
申し付け」給う大聖人の絶大威力、御守護によること。

 --- 先生はこれら、涙なくしては拝し得ぬ大聖人の忍難慈勝の御振舞いと、御化導に呼応する諸天の働きの凄さを、気魄と情感をこめて説き明かされた。大聖人の尊き御振舞いを、眼前に拝するごとき先生の講義に、全員吸い込まれるように聞き入り、場内には形容しがたい感動がみなぎった。講義において先生は随所に、伺うことさえ恐れ多い甚深の義も明かされた。ことに「義浄房御書」を引いて、大聖人がついに竜の口において無作三身の仏果成就を示し給うた御文、すなわち「
一心に仏を見る、心を一にして仏を見る、一心を見れば仏なり」について甚深の解説をされたが、全員が雲晴れて月を見るごとくの大感動を味わった。

 御判形変貌の深意

 また弘安元年六月から御判形が変貌した深意について、先生はつぎのごとき重大なご見解を示された。
 「
御入滅四年前の弘安元年は、仏滅後二千二百二十七年に当る。しかし大聖人様は弘安元年七月の千日尼抄に『仏滅後二千二百三十余年』と仰せられている。日寛上人はこの深意を『寿量説法の年より弘安元年に至るまで正しく二千二百三十一年に当るなり』として『故に知んぬ、弘安元年已後、御本意即ち顕われ畢るなり』と御指南下されている。
 すなわち大聖人様は、弘安元年以降を御本意顕現の時とおぼしめされていたのである。そして不思議にも弘安元年には、日興上人の死身弘法により、富士熱原地方に神四郎殿を始めとする不惜身命の集団が出現した。ここに大聖人様は、いよいよ出世本懐成就の時を感じ給い、御判形の相貌を改め給うたものと私は拝し奉る。文永・建治の御本尊と弘安元年以降の御本尊を比し拝すれば、御座配とともに御判形が大きく変貌している。

 すなわち文永・建治の御本尊は、釈尊より付嘱を受けた上行菩薩としてのお立場で顕わし給うたものと拝する。ゆえに第一回蒙古襲来直後の文永十一年十二月に御図顕された『
万年救護本尊』の脇書には『大覚世尊御入滅後、二千二百二十余年を経暦す。爾りと雖も月・漢・日三ヶ国の間、末だ此の大本尊有さず。或いは知って之を弘めず、或いは之を知らず。我が慈父、仏智を以て之を隠留し、末代の為に之を残す。後五百歳の時、上行菩薩世に出現し、始めて之を弘宣す』と示されている。上行菩薩のお立場でご図顕あそばしたこと、明々白々である。
 そして弘安元年以後の御本尊こそ、久遠元初の自受用身・末法下種の本仏として、その御内証の全体を顕わし給うたものであれば、まさしく本意・究竟の御本尊である。なかんずく弘安二年の本門戒壇の大御本尊こそ、究竟中の究竟の大御本尊であられる。ゆえに日寛上人は『
弘安元年已後、究竟の極説なり。就中、弘安二年の本門戒壇の大御本尊は究寛の中の究寛、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり』と。これらを以て謹んで案ずるに、文永・建治までの御判形は上行菩薩としての御判形であられ、弘安元年六月以降の御判形こそ、実に久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏の御判形であられると、私は謹んで拝し奉る」と。

 「唯願説之」のとき国立戒壇が

 最後に先生は「三大秘法抄」「一期弘法付嘱書」を引いて御遺命の大事を示されたのち、次のごとく烈々と結ばれた。
 「
まさしく、戒壇の大御本尊の御力によって日本国を仏国となし全世界を事の寂光土とする秘術こそ、国立戒壇建立である。御在世には未だその時至らず。よってこの大事を日興上人に御命令あそばされた。されば国立戒壇建立の御遺命には、大聖人様の一代の大願が込められている。
 しかるに、この使命を果すべき正系門家は広布前夜に至って、あろうことか国立戒壇を否定し、正本堂を『御遺命の戒壇』とたばかった。これ第六天の魔王が池田大作の身に入り、二代にわたる貫首がこれに協力したゆえである。御遺命を破壊せんとするの輩は、まさに流罪・死罪を忍び給うた大聖人様の、一代三十年の御化導を水泡に帰せしむるの者である。だが大聖人様はこの誑惑を許し給わず。ここに顕正会を立たしめ、戦わしめ、誑惑を砕かしめ、諸天をして正本堂を崩壊せしめた。

 そしていま、御遺命を破壊せんとした者どもは『
修羅と悪竜の合戦』に明け暮れている。これ大罰である。戒壇の大御本尊は、熱原の法華講衆の不惜身命の『唯願説之』があったとき、世に出現されている。これを以て思うに、末法濁悪の未来に、熱原のごとき仏弟子の大集団あって、大聖人様に命かけての忠誠を貫くとき、戒壇の大御本尊は必ずや国立戒壇にお出ましになると拝し奉る。御遺命を守り奉った顕正会こそ、いよいよ御遺命実現の御奉公に立たなければならない。
 すでにいま濁悪の世に、百万の仏弟子の大集団は出でんとしている。この大集団、もし大聖人様の御心のままに一国諌暁を進め、死身弘法に励むならば、ついに大聖人様の御力によって『
日本国一時に信ずる』の時が到来する。そして戒壇の大御本尊が国立戒壇にお出ましになり、新しい日本国が誕生するのである。たとえ世の中がどれほど濁ろうと、宗門がいかに乱れようとも、顕正会だけは一筋の御奉公を貫き、大聖人様に応え奉ろうではないか

 以上、大河のごとき先生の講義は二時間五分。場内には「南無日蓮大聖人」との胸に込み上げる思いと、広宣流布の大確信が渦まき、長い長い大拍手が会場をゆるがした。



 


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