冨士大石寺顕正会の基礎知識


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顕正新聞 平成十五年二月十五日号


   日興上人御報恩勤行会 厳修
   「下種の僧宝・万年の総貫首」を拝す

 第二祖日興上人の六百七十一年御正当の御報恩勤行会が二月七日、本部会館および同時放送会場の全国主要会館・事務所で厳粛に奉修された。
 本部会館ではこの日、厳しい寒さのなか、地区部長・支区部長・隊長・区長等の代表幹部ならびに有志会員あわせて約一千三百余名が参列、三階礼拝室はぎっしりと埋め尽くされた。

 日興上人の御恩徳を偲び奉り、全員が真心の唱題を重ねるなか、定刻を十分繰り上げた午前六時五十分、浅井先生が着座。直ちに厳粛なる勤行が開始され、力強い読経・唱題は場内をゆるがす。
 勤行ののち、先生は「百六箇抄」の一節を凛々と奉読された。「
日興を付弟と定め畢んぬ。然る間、予が入滅の導師として寿量品を始め奉るべし。是れ万年已後未来までの総貰首の証拠たるべし

 ついで先生は「
日興上人は、御本仏日蓮大聖人の御化導を唯仏与仏の御境涯を以て助けまいらせるために、お生まれになられた御方である。…… この縁は今生だけのものではない。久遠元初以来の師弟の契りである」と述べられたのち、大聖人に始めて値い奉った十三歳の時より八十八歳の御遷化に至るまで、片時も大聖人のおそばを離れずに仕え奉った日興上人の「末法下種の僧宝」「末法万年の総貫首」の恩徳を、その尊い御振舞を通して、別掲のごとく指導された。

 さらに先生は、日興上人が「末法万年の総貫首」なることを端的に示す御事跡として、御入滅の時の遺誡二十六箇条に数箇条にわたって、後世の貫首上人についての言及があることを挙げられ、顕正会が御遺命守護の御奉公に立てたのも「
時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、此を用うべからざる事」との一条があればこそ、と述べられ
 最後に「
この日興上人のご念願はただ一つ。大聖人様の御遺命たる国立戒壇建立の一事である。ゆえに『未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべき事』と仰せられる。いま私たちはつたない凡夫ではあるが、時は広宣流布前夜に生まれ合わせている。何としても顕正会こそ、大聖人様、日興上人の御心に添い奉って、死身弘法を展開しようではないか」と。
 先生の気魄こもる指導は全員の仏性をゆさぶり、場内には感動と死身弘法の決意がみなぎった。

   
 初陣二月、百万への熱血たぎる
 
   阿部管長の無漸に憤激渦まく

 「
阿部管長は戒壇の大御本尊の御前において、五体を地に投げ遍身に汗を流して懺悔しなければいけない。何よりも何よりも、まず改悔のしるしとして、早く貫首の座から退かなくてはいけない。もう大聖人様がお許しにならない」 --- 一月度総幹部会における浅井先生の師子吼に、全顕正会が燃え立つなか、男子部・女子部・婦人部・壮年部の月例班長会が、一月二十四日から二十六日にかけて相次いで開催された。
 参加者の四者合計は九、〇八六名。いずれの班長会も、百万への初陣二月を迎えた凄まじい決意がうず巻いた。

    初の「儀礼室会議行わる
    先生の重々の指導に“確信と誇り”


 


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