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顕正新聞 平成十一年二月二十五日号
日蓮によりて日本国の有無はあるべし
御本仏の重き御存在、心腑に染めよ
二月度御書講義は五日、川口総合文化センターにおいて浅井先生によって行われた。半年ぶりの御書講義とあって、開始前より場内にはワクワクするような歓喜がみなぎる。
今月の拝読御書は建治二年御述作の「下種本仏成道御書」であり、講義はそのなかの佐渡御流罪における大聖人の師子王のごとき御振舞を記された部分であった。
御本仏の烈々たる文々句々は一人ひとりの胸を打ち、そして先生の気魄と情熱に満ちた、しかもわかり易い講義を通して、受講者全員、「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」の重大なる御聖意を心腑に染め、場内には言葉に尽くせぬ感動と決意がうず巻いた。
講義に先立ち、浅井先生はまず次のように述べられた。
「本抄は、文永五年から文永十一年に至る七ヶ年の、大聖人の師子王のごとき御振舞いを、御自ら末法万年のために克明に記し置かれた極めて大事な、そして有難い御書である。実はこの七ヶ年において、一代御化導の上にまことに重大なことが二つあった。
一つは、文永八年九月十二日、大聖人が竜の口において久遠元初の自受用身の大境界を証得あそばされたこと。すなわち下種御本仏の成道である。
もう一つは、この御本仏を流罪・死罪にし奉った日本国に、諸天の働きによる蒙古の責めがあったこと。
まさにこの七ヶ年こそ、御本仏開顕の重大な七年と拝すべきである。
では、蒙古の責めが、なぜ御本仏開顕と関わりがあるのかといえば、諸天善神は下種の御本仏を守護することをもってその使命としている。しかるに日本国は、大慈大悲の御本仏を尊崇するどころかかえって憎み流罪・死罪に処し奉った。
ゆえに諸天はこれを許さず、隣国の王をしてこの謗法の日本を責めしめたのである。かくみれば、蒙古の責めこそ、日蓮大聖人が御本仏であられることを証明するものである。
ゆえに聖人知三世事に云く。『日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。上一人より下万民に至るまで、之を軽毀して刀杖を加え流罪に処するが故に、梵と釈と日月・四天・隣国に仰せ付けて之を逼責するなり』と。
さらに一重深くこれを拝するならば、蒙古の責めは、実に大聖人が諸天に申しつけて起こさしめ給うたものである。これすなわち、他国侵逼の大罰によって日本一同に改悔を起こさしめ、後生の無間地獄の大苦を、今生のうちに消さしめんとの大慈大悲であられる。
ゆえに王舎城事に云く『法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天罰し給いて、皆人に見懲りさせ給へと申しつけて候。日蓮、法華経の行者にてあるなしは是れにて御覧あるべし。あへてにくみては申さず、大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり』と。
御本仏でなくて、どうしてこのようなことがなし得ようか。まさに日本国の誰人も想像だにしなかった大蒙古の責めこそ、日蓮大聖人が御本仏であられることの証明なのである」
ついで先生は、下種本仏成道御書に記された七ヶ年の流れを簡潔に講ぜらたのち、本文に入った。
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