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 --- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---

  第一章 正本堂をめぐる今日までの経緯

    
細井管長の最初の説法(1)

 昭和三十九年五月三日、創価学会本部総会において池田会長は、正本堂の建立寄進について初めて発表した。「
総本山日達上人猊下に、正本堂を建立、ご寄進申し上げたい。正本堂の建立は、事実上、本山における広宣流布の体制としてはこれが最後なのであります。したがって、あとは本門戒壇堂の建立だけを待つばかりになります」(聖教39・5・5)と。

 この発表では、池田はまだ正本堂と、将来建てられるべき本門戒壇とを、はっきりと区別している。
 だが、これより九ヶ月のちに開かれた第一回正本堂建設委員会における細井管長の説法により、正本堂は突如として“御遺命の本門戒壇”と、その意義が変更されたのであった。

 御遺命の本門戒壇は広宣流布の暁に立てられるべきものであるから、正本堂を本門戒壇というには、広宣流布の定義を変えなければならない。そこでこの説法が行われる一ヶ月前、細井管長は「今や広宣流布」と題して、次のような一文を学会の教学誌「太白蓮華」に発表している。
 「
思えば昨年春、会長池田先生との談話の時に、私が『すでに広宣流布しておる』と語ったら、会長は『そうです、舎衛の三億です』と即座に答えられたので、私はその見識に内心感嘆したのである」(同誌40年1月号)と。

 ちなみに「舎衛の三億」とは、“
日本の総人口の三分の一が入信すれば広宣流布といえる”とする、御書に全く根拠もない、池田が云い出した“ごまかし”の広宣流布である。学会員は現在でも人口の一割に満たないから、いわんや当時は“舎衛の三億”にも遠く及ばない。しかるに細井管長は「すでに広宣流布しておる」と云ったのである。

 そして昭和四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会における説法となる。この細井管長の説法は、正本堂を御遺命の戒壇と決定する理由を述べた、最初で唯一の説法であるから、ここにその主要部分を掲げる。

 「
今回、池田会長の意志により、正本堂寄進のお話がありましたが、心から喜んでそのご寄進を受けたいと思います。さて、正本堂についていちばん重大な問題は、どの御本尊を安置申し上げるかということでございます。過日来、いろいろなところで質問され、またこちらにも問い合わせがきておりますが、それに対して、私ははっきりした答えをせず、ばくぜんとしておいたのであります。いよいよ、きょうこの委員会が開かれるにあたって、初めて私の考えを申し上げておきたいのであります。

 大聖人より日興上人への二箇の相承に『
国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』とおおせでありますが、これはその根源において、戒壇建立が目的であることを示されたもので、広宣流布達成のためへの偉大なるご遺訓であります。
 これについて一般の見解では、本門寺のなかに戒壇堂を設けることであると思っているがこれは間違いであります。
 堂宇のなかのひとつに戒壇を設けるとか、あるいは大きな寺院のなかのひとつに戒壇を設けるというのは、小乗教等の戒律です。小乗や迹門の戒壇では、そうでありましたが、末法の戒律は題目の信仰が、すなわち戒を受持することであります。よって大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇であります。したがって、大本門寺建立の戒も、戒壇の御本尊は特別な戒壇堂でなく、本堂にご安置申し上げるべきであります。

 それゆえ百六箇抄には『
三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり』と、大聖人のお言葉が、はっきりご相伝あそばされております。また同じ百六箇抄の付文に『日興嫡々相承の曼茶羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり』と、こう明らかにされておるのでございます。
 したがって、その曼茶羅を現在では大石寺の本堂にご安置することが、もっともふさわしいと思うわけであります。

 戒壇の大御本尊は、大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。また当時は大聖人のおいでになるところが本堂であり、ご入滅後は御本尊のおわしますところが本堂となってきたものであります。そして本堂で御本尊に信者が参拝したのであり、大聖人ご在世当時、身延へ参拝しにきたのは信者だけですから、だれでも直接に御本尊を拝めたのです。したがって今日では、戒壇の御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります。

 ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります。ゆえに正本堂とはいっても、おしまいしてある意義から、御開扉の仕方はいままでと同じであります。したがって形式のうえからいっても、正本堂の中でも須弥壇は蔵の中に安置申し上げる形になると思うのでございます
」(大日蓮40年3月号)と。




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