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--- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---
第三章 正本堂の誑惑を破す
( 正本堂の誑惑の狙い )
正本堂の誑惑を破折するに当って、まず池田大作がこの誑惑をたくらんだ目的を明らかにする必要がある。
いったい彼はなぜ正本堂を三大秘法抄等に御遺命の戒壇と偽ったのであろうか。
その狙いは次の三つである。
一には、国立戒壇を否定するため
二には、宗門七百年の悲願を達成したのは自分であると誇るため
三には、正本堂を口実にして資金を集めるため
このうち、一は主目的であり、二・三は副次目的、彼は一石三鳥を狙ったのである。
二から説明すれば、彼は宗内僧俗一同が誑惑になびくと見るや、正本堂建立を次のように自讃し始めた。
「七百年来の宿願であり、久遠元初以来の壮挙である」(立正安国論講義、「宗門究竟の誓願之にに過ぐるはなく、将又(はたまた)仏教三千年史上空前の偉業なり」(発誓願文)と。
欺瞞を自讃するとは恐れいった無慚ぶりであるが、彼はこの名利を求めていたのである。
三についていえば、正本堂の募財に当って池田は、細井管長に「資力の限りを尽し --- 蔵の宝に執着することなく大本尊に供養して
--- 」との訓諭(昭和40・9・12)を発布させている。
これを承けた全学会員は正本堂を御遺命の戒壇と思えばこそ、文字通り「資力の限りを尽くし」て、血の滲むような供養をした。当時、全国の質屋の前には学会員が列をなし、世間の話題にもなったほどである。
しかしこの供養の全額は、細井管長を通して直ちに池田のもとに戻されている。
「いま私はこの供養をちょうだいいたしました。そしてこの全額を、私の信頼をもって、正本堂建立、ならびに広宣流布達成のための事業、設備等に使用していただくために、池田委員長に委任したいと思います」(細井管長挨拶・学会本部幹部会・聖教40・10・18)と。
かくて池田は正本堂を口実に、莫大の資金を手にしたのであった。
さて、一の“国立戒壇の否定”こそ、正本堂建設の主目的である。池田は昭和三十七年ごろまでは“学会の政治進出は国立戒壇建立のため”と、繰り返し云ってきた。
しかし政治進出が本格化するにつれ、村上重良・笠原一男等を始めとする評論家から、「国立戒壇は政教分離を規定した憲法に違反する」等の批判が相次いだ。
池田はこの批判を恐れたのである。もし彼が大聖人の真の弟子ならば、国立戒壇が一宗一派のためではなく、国家・国民のため、全人類の真の幸福のためであることを、捨身の決意で説くべきであったのに、政治野心だけが目的の彼は、選挙に不利であるとして国立戒壇を放棄したのであった。
学会の出版物からは、昭和三十七年ころより“国立戒壇”の文字が消え始めた。しかし口で否定しただけでは世間は信じてくれない。そこで昭和三十九年五月三日の学会総会で、衆院進出を公表すると同時に正本堂の建立を発表し、国立戒壇を正本堂にすり替えようとしたのである。
だが、いきなり正本堂を御遺命の本門戒壇と自ら云えば、会員に疑問を生じさせる。そこで当日は一往、正本堂と本門戒壇とを区別して「あとは本門戒壇堂の建立だけを待つばかり」と云っておき、九ヶ月のちの細井管長の説法を以て、正本堂を“本門戒壇”と決定する企みだったのである。
池田は“すべて猊下が決定された”などと云っているが、池田が細井管長の説法以前からすでに正本堂を本門戒壇と云っていたことは、三十九年五月の学会総会のすぐあとに、竜年光(教学部教授)が池田の言葉として「今度の正本堂は、いよいよ本門の戒壇となる」(聖教39・5・26)と公表しているのを見ても、明らかである。
そして池田は、細井管長の説法を待って、いよいよ声を大にして叫んだ。
「正本堂の建立は、事実上の本門戒壇の建立を意味いたします。このことは日達上人のご説法によっても、明らかであります。戸田先生もわれわれも、いちじ『国立戒壇』といってきました。しかし、どこを捜しても、御書には『国立戒壇建立』ということばはないのです。
大聖人様はちやんと未来を考えていらっしゃったのです。いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』といいますが、私はなにをいうかといいたい。そんなことは御書にはありません。彼らはなにもその本義を知らないのです。猊下が、正本堂が本門戒壇の戒壇堂であると断定されたのであります。
ですから、皆さん方は 『創価学会は国立戒壇建立が目標である』といわれたら、いいきっていきなさい。とんでもない、こんどの私どもの真心で御供養した浄財によって、正本堂が建立する。それが本門の戒壇堂である。これでもう決定されているのですと。私ども創価学会貞ならびに日蓮正宗信徒の真心の結集によって、本門の戒壇堂は、もうできてしまうのです。---
国家予算によって、国立戒壇が建立されるということはありえないのです」(聖教40・9・22)と。
正本堂が国立戒壇を否定するために建てられたものであること、この講演に歴然である。まさに池田大作は政治野心のために、御本仏の一期の御遺命を破壊したのであった。
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