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--- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---
第三章 正本堂の誑惑を破す
広宣流布以前に立てた正本堂を“御遺命の戒壇”というためには、広宣流布の定義を変えなくてはならぬ。そこでさまざまなごまかしが行われた。
舎衛の三億
“日本人口の三分の一が入信すれば広宣流布”というこの論法は、池田が云い出し、細井管長が追認したものである。
「舎衛の三億」の典拠は、竜樹菩薩の大智度論の「舎衛の中に九億の家あり、三億の家は眼に仏を見、三億の家は耳に仏ありと開くもしかも眼に見ず、三億の家は開かず見ずと。仏、舎衛に在すこと二十五年、しかも此の衆生は開かず見ず、何に況んや遠き者をや」である。
つまり、釈尊が出生し二十五年も居住した舎衛国においてすら、実際に釈迦仏を眼で見た者は全体の三分の一、さらに三分の一は仏のいることは聞いたが見たことはなく、残りの三分の一の「三億」に至っては、見たことも聞いたこともなかったという。これが「舎衛の三億」ということである。
この故事は「見仏・聞法の難き」すなわち仏に値い法を聞くことがいかにむずかしいかということを譬えたものに過ぎない。したがって日蓮大聖人の仏法の広宣流布とは、何ら関係のない事柄である。
しかしこれが池田の手にかかると次のようになる。「学会員が日本の総人口の三分の一となり、さらに、信仰はしないが公明党の支持である人たちがつぎの三分の一となり、あとの三分の一は反対であったとしても、事実上の広宣流布なのであります。またこの『舎衛の三億』は、仏法が信教の自由を認めている厳然たる証拠であります」(大白蓮華40年9月号)と。
結局、三分の二は不信であってもよいという“デタラメ広宣流布”である。しかもこの不信を許容することが「信教の自由を認めている証拠」というに至っては、まさに語るに落ちている。
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