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--- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---
第三章 正本堂の誑惑を破す
法体の広宣流布が果実を結ぶ
池田の次の手口は、「法体の広宣流布」のごまかしであった。
彼は学会員の増加が正本堂建立にいたったことを誇って「これこそ日蓮大聖人以来の法体の広宣流布が果実を結んだというべきであり、即、世界への化儀の広宣流布の始まりでもある」(大白蓮華45年6月号)と云った。
「法体の広宣流布」とは、大聖人が本門戒壇の大御本尊を建立あそばされたことを意味する。ならば弘安二年十月十二日に、すでにその果実は結ばれているではないか。どうして正本堂の建立が「法体の広宣流布の果実」となるのか。
また広宣流布を法体と化義に分けるならば、戒壇建立は化儀の広宣流布の時である。
しかるに池田は、日本における「化儀の広宣流布」が達成されたのか、されてないのかにはわざと触れず、正本堂建立が「世界への化儀の広宣流布の始まり」といってごまかしている。
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