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--- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---
第三章 正本堂の誑惑を破す
いつが広宣流布かは法主上人がきめる
阿部教学部長はいう。
「いつが現実的な『(広宣流布の)暁』であるか、さらに広布の時機とその建物建立の前後等の決定は、一に法主上人の御判断によるべき処である」(悪書T再刊後記)
「戒壇建立の時期についての具体的現実的判断は、これこそ大聖人以来唯授一人の血脈を持たせたもう法主上人の内鑑の御境地による」(同前)
「現在は仏法上いかなる時であるかを決し、宗門緇素にこれを指南し給う方は、現法主上人にあらせられる」(悪書T)
「最も大切なことは、遣使還告の血脈の次第から、現御法主を大聖人と仰ぐべきであり、現在においては御法主、日達上人猊下の御意向を仰ぐのが正しい」(悪書T)と。
誑惑を正当化するのに“法主”の権威を利用するのが、池田そして阿部教学部長の常套手段である。
このようなたばかりが、広布前夜の正系門家に起こることを慮られ、二祖日興上人は「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざること」と御遺誡あそばされたのである。
だいたい、今が広宣流布かどうか、戒壇建立の時であるかないかは、御金言を本にすれば、三歳の童子にもわかることである。ごまかそうとするから「法主上人の内鑑の御境地による」などと、もったいぶらなければならないのだ。
御金言を拝せよ。広宣流布の姿を大聖人は「剰へ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」(諸法実相抄)と。現在はまだ「日本一同に南無妙法蓮華経と唱へ」てはいないではないか。
さらに大聖人は戒壇建立の時を御付嘱状には「国主此の法を立てらるれば」と定め給い、三大秘法抄には“王仏冥合・王臣受持の時”と定め給うておられる。今日まだこの状態に至ってないことは、誰人の目にも明らかではないか。
白を黒といい、天を地といい、東を西といい、冬を夏というのを誑惑という。御本仏が「大地を的とする」と断言し給うた広宣流布を信ぜず、私情にまかせて広宣流布を偽るものは、まさに逆路伽耶陀の一類といわねばならぬ。
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