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--- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---
第三章 正本堂の誑惑を破す
( 大聖人の御振舞いから拝する「国主」)
以上二意の 「国主」について、大聖人はどのように対応あそばされたかを拝することが、日本国の「国主」を理解する上で極めて重要である。
大聖人御在世においては、承久の乱の結果、天皇の威光勢力失せ、皇室は“名存実亡”ともいうべき衰微の極に在った。
このとき政権を掌握していたのは北条一門であった。ここに大聖人は立正安国論を始め三度の諌暁を、この北条一門に対しあそばされている。これ政権運用の所在に約し、北条氏を実質上の“国主”とみなし給うたゆえである。
しかし身延御入山以後は、「未だ天聴を驚かさずか、事三ヶ度に及ぶ、今は諌暁を止むべし」(未驚天聴御書)と仰せられ、鎌倉幕府への諌暁を止め、名のみあって実権のない皇室に聖意を向け給うておられる。
すなわち弘安三年三月には未来広布の暁に天皇が受持すべき「紫宸殿の御本尊」を顕わされ、翌四年十二月には後宇多天皇に申状を認(したた)めて日興上人に代奏せしめ、さらに翌五年五月には日目上人に重ねて天意を奉伺(ほうし)せしめ「朕、他日法華を持たば必ず富士山麓に求めん」との下文(くだしぶみ)を得給うておられる。
そして同年四月の三大秘法抄には「勅宣並びに御教書」と仰せられ、また同九月の御付嘱状に「国主此の法を立てらるれば --- 」と仰せられているのである。
これらの御振舞を拝すれば、大聖人は、皇室の威光勢力の有無にかかわらず、日本国の真の“国主”は天皇であると御覧あそばしておられたと、拝することができる。
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