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--- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---
第三章 正本堂の誑惑を破す
( 日興上人の御事蹟から拝する「国主」)
大聖人の御聖意は、二祖日興上人の御事蹟を拝すれば、さらによく窺い得る。
すなわち日興上人の「三時弘教次第」には、「今末法に入って法華本門を立てて国土を治むべき次第」として、桓武天皇と伝教大師を迹化付嘱の師壇と例に挙げ、本化付嘱の師檀を「日蓮大聖人」と「当御代」(時の天皇)と仰せられたのち、前掲の天照大神の「勅」を記されている。
また「富士一跡門徒存知事」には、広宣流布の暁の皇城の所在について「右、王城においては、殊(こと)に勝地を撰ぶべきなり。就中(なかんずく)、仏法と王法とは本源体一なり、居処随って相い離るべからざるか。よって南都の七大寺、北京の比叡山、先しょうこれれ同じ、後代改まらず。然れば駿河国の富士山は広博の地なり、一には扶桑(ふそう)国なり、二には四神相応の勝地なり。尤も本門寺と王城と一所なるべき由、且(か)つは往古の佳例なり、且(か)つは日蓮大聖人の本願の所なり」と。
「仏法と王法とは本源体一」とは、皇祖たる天照大神・八幡大菩薩等の本地は釈迦仏であり、下種の三大秘法守護のため日本に垂迹して善神と顕れたことをいう。
その大使命を受け継いでいるのが日本の皇室である。このゆえに“広宣流布の暁には本門寺と王城(皇居)は一所でなければならない、そしてこの事こそ「日蓮大聖人の本願の所」である”と日興上人は仰せられているのである。
王仏冥合の事相、ここに豁然(かつぜん)と拝する思いである。
さらに日興上人は、広宣流布の時出現の国主を、同じく富士一跡門徒存知事に「本化国主」と仰せられている。この「本化国主」が、本門寺と一所の王城に居(こ)する“天皇”を意味すること、一点の争う余地もないではないか。
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