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--- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---
第三章 正本堂の誑惑を破す
「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」について
「有徳王・覚徳比丘」の故事は涅槃経に説かれている。
すなわち歓喜増益如来の末法に、仏法まさに減せんとする時、正法を堅持した一人の聖憎がいた。名を覚徳という。またこの時、生活のために出家した禿人(職業僧侶)も多勢いた。これら無道心の悪箱らは、覚徳比丘が正しく仏法を説くを開いて利害の心より憎悪を生じ、ついに殺害せんとした。
この時の国王を有徳という。覚徳比丘が危害を加えられんとするを聞き、護法のために直ちにかけつけ、悪憎らと戦った。有徳王の奮戦により覚徳比丘はあやうく殺害を免がれたが、有徳王は全身に傷を負い、命終したという。
この有徳王・覚徳比丘の故事は、正法まさに減せんとする時、国主はかくのごとく正法を守護すべしということを示されたものである。
この有徳王・覚徳比丘の振舞いの中に、国家権力と仏法の関係そして在り方が、自ずと示されている。大聖人の仰せられる王仏冥合とは、政治権力が政権維持のために仏法を利用したり、仏法が国家権力にへつらって自宗の繁栄を策したりするものではない。
このような関係は王仏冥合ではない、まさに癒着というべきものである。
有徳王・覚徳比丘の振舞いを見よ。正法を説く覚徳比丘も不惜身命、覚徳比丘を守る有徳王も不惜身命、そこには微塵も利己がない。ともに法を惜しむ大道念あるのみである。
このような、仏法のためには身命も惜しまぬ護法の大道心が一国に満ち満ちた時、戒壇を建立せよと、大聖人は定め給うたのである。
この御文を、阿部教学部長は次のように解釈する。「正しい仏法者とこれを守護する世俗の力、又はその指導者が顕われる時をいう」(悪書T)
「仏法者」などという学会が好んで使う語を用いているのが気になるが、それはさておく。この解釈の云わんとしていることは、次の阿部教学部長の言葉ではっきりする。
「大聖人様は広宣流布の条件として、三大秘法抄に『有徳王・覚徳比丘の其のむかしを末法濁悪の未来に移さん時、乃至時を待つべきのみ』と予言されました。この御文は広宣流布の時、在家の中より身命がけで仏法を守る指導者が必ずお出になる事を示されたものと拝されます。その広宣流布の時とは、まさに今日、創価学会の出現により、又その大指導者たる会長池田先生が身を以て示される、法主上人猊下と宗門に対する不惜身命の御守護をもって、いよいよ、その時が到来した事を、断じてはばからぬものでございます」(大日蓮41年6月号)と。
つまり「有徳王」とは池田大作、「覚徳比丘」とは細井管長を指しているのである。
阿部教学部長は「有徳王」を“不徳王”とまちがえたのではないか。
いったい総本山を経済封鎖する「有徳王」がどこにいよう。さらに“時の法主”を大衆の面前で罵倒し、十三億五千万円を出させた「有徳王」がどこにいよう。また、学会にへつらって御本仏の御遺命を曲げる「覚徳比丘」がどこにいようか
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御金言を曲げるのもいい加減にせよといいたい。
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