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--- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---
第三章 正本堂の誑惑を破す
「時を待つべきのみ」について
( 「時を待つべきのみ」の時の歪曲 )
この御文は、時至らざる以前に戒壇を立てることを堅く禁じ給うた制誡である。
一期弘法付嘱書と三大秘法抄に、同じ御文を以て重ねて訓誡あそばされていることに、この御制誡の重大性を拝さなくてはならない。
では、その「時」とは何時(いつ)を指すのか。すなわち一期弘法付嘱書には総括的に“国王此の法を立てらるる時”と定められ、三大秘法抄にはさらに具さに“王仏冥合・王臣受持・勅宣御教書の申し下される時”と定められている。
御本仏の定め給うたこの「時」を無視する者は、まさに仏勅に背く逆賊といわねばならぬ。
阿部教学部長が、この「時」をどのようにごまかしているかを見る。
「『時を待つべきのみ』の『時』をどのように考えたらよいのか。仏法の『時』というのは、本質的には、随自意で判断すべきものである。日蓮大聖人が今こそ三大秘法の大白法流布の時と判断されたのは、究極するところ、大聖人の御内証からの叫びであった」(悪書T)と。
反詰して云く、しからば大聖人は正像二千年に出現されて“今こそ三大秘法流布の時”と随自意に判断されたのか。「時鳥(ほととぎす)は春ををくり、鶏鳥(にわとり)は暁をまつ、畜生すらなおかくのごとし」(撰時抄)と仰せられる大聖人が、どうして正像末の三時・五箇の五百歳等の客観的「時」を無視されようか。
ゆえに観心本尊抄には地涌出現の時節を明かされて云く
「地涌千界正像に出でざることは、正法一千年の間は小乗・権大乗なり
--- 今末法の初め小を以て大を打ち、権を以て実を破し、東西共に之を失し天地瞋倒せり、迹化の四依は隠れて現前せず、諸天其の国を棄て之を守護せず、此の時地涌の菩薩始めて世に出現し、但だ妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」
また云く 「是くの如き高貴の大菩薩、三仏に約束して之を受持す、末法の初めに出で給わざる可きか」
また云く 「此の菩薩、仏勅を蒙りて近く大地の下に在り、正像に未だ出現せず、末法にも又出で来り給わずば大妄語の大士なり」と。
以上の御文を拝すれば、大聖人が「後五百歳」「末法の初めlという、経文に定められた「時」を待って出現し給うたこと、明々白々ではないか。御本仏にしてなをこのように「時」を待ち給う。
いわんや末流の門下が、御本仏の定め給うた戒壇建立の「時」を無視し、「随自意」などと称して、私情にまかせて「時」を判断するでたらめが、どうして許されようか。
阿部教学部長はさらに云う 「『時を待つ』といっても、それは、時をつくりつつ待つのであって、ただ手を拱いて待つのではない」(悪書T)と。
当然ではないか。だからこそ日興上人は 「未だ広宣流布せざる間は、身命を捨て随力弘通を致すべきこと」(遺誡置文)と仰せられたのである。日興上人・日目上人の死身弘法こそ紅涙を以て拝すべし。
阿部教学部長は本行寺・平安寺の住職時代、学会にへつらうのほかに、どれほどの死身弘法をなしているか。さらに念のため云っておく、「時をつくりつつ待つ」とは、世間を欺く正本堂などを建てることでは断じてない。
さらに教学部長はいう 「仏法の『時』は、決して固定化した一時点を指すのではなく、もっとダィナミックで、かつ大きいものである。したがって大聖人が『時を待つべきのみ』と仰せられたのも、一つには末法万年尽未来際の広宣流布を望んで壮大なビジョンの上から仰せられたものと拝する」(悪書T)と。
これは池田大作の 「広宣流布は終着点のない流れ自体」という欺瞞を扶けるものである。心を沈めて御聖文を拝せよ。王仏冥合・王臣受持の状況を背景に、「勅宣・御教書」が発せられるその「時」は、まさしく年・月・日・時刻までも記録されるべき「一時点」ではないか。
また云く 「大聖人が『時を待つ可きのみ』と仰せられた御聖意を拝するに、予め社会次元での形式を論ずることは、かえって一定の制約をつくることになり、むしろ、時代に応じて、最も適切な方法をとるべきであるとの余地を残されてこのように仰せられたとも考えられる。大聖人が、他の御書においても、一切戒壇の内容についてふれられていないのも、こうしたご配慮があったればこそではなかろうか」(悪書T)と。
大聖人が他の御書において本門戒壇の内容を一切説明されてないことにつき、阿部教学部長は昭和三十七年ごろには、次のような正論を述べていたものである。
「この理由は、まず第一に、戒壇建立は国家の宗教的大革命であるから、国主帰依の後においても非常な大難があるべきこと、まして謗徒国中に充満の時、これが顕説は、慎重に慎重を加えられたものと思われます」(大白蓮華37年6月号)と。
前の曲文との自語相違、どのように会通するのか。
さらに教学部長の誑惑は続く 「現在は仏法上いかなる時であるかを決し、宗門緇素にこれを指南し給う方は、現法主上人にあらせられる」として四十八年四月二十八日の訓諭を引き、その意を
「正本堂は現在直ちに一期弘法抄、三大秘法抄に仰せの戒壇ではないが、将来その条件が整ったとき、本門寺の戒壇となる建物で、それを今建てるのであると、日達上人が明鑑あそばされ、示されたのが此の度の訓諭であろう」(悪書T)と。
いよいよ本音が出てきた。正本堂は、一期弘法抄・三大秘法抄に定められた条件が未だ整わないうちに建ててしまったものと、自ら結論づけている。
しかし顕正会の破折がよほど気になるのであろう、続けてこういう
「もしいまだ建物建立の時も至らずと考え、三大秘法抄の前提条件も整わないとして、前もって戒壇を建てるのは『時を待つべきのみ』の御制誡に背くという意見があるとすれば、それは不毛の論に過ぎない」と。
御本仏が定め給うた条件の整わぬうちに建てることこそ重大なる仏勅違背、御遺命破壊ではないか。この違背を責める護法の正論が、どうして「不毛の論」なのか。“引かれ者の小唄”は見苦しい。
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