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--- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---
第三章 正本堂の誑惑を破す
「時を待つべきのみ」について
( 時を待つべき所以 )
さて、大聖人はなにゆえ広宣流布以前の戒壇建立を厳禁し給うたのであろうか。
謹んで案ずるに、もし宗教の正邪未だ決せぬ時に建てるならば、一国において邪正肩を並べ、結局邪宗・謗法を容認することになり、仏国実現は不可能になってしまうからである。
ゆえに立正安国論には立正の前提として破邪すなわち謗法禁断を国主に示され、また如説修行抄には「終に権教・権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民・諸乗一仏乗と成って妙法独り繁盛せん時」と仰せられ、また治病抄には「結句は勝負を決せざらんの外は、此の災難止み難かるべし」と仰せられるのである。
また大聖人の御振舞を拝するに、鎌倉幕府を三たび諌暁ののちは、鎌倉を去って身延に入山あそばされ、それよりは一歩も山を下り給うことがなかった。これ、諌暁を止めたのちになお鎌倉にとどまることは、邪正肩を並べ謗法を容認するに当るゆえである。
この大精神に基き、日蓮正宗においては、一国において邪正が決せられぬ間は、大聖人の御当体たる戒壇の大御本尊は宝蔵にこれを秘し奉り、謗法と堅く境を隔てて厳護申し上げてきたのである。
しかるに御制誡に背いて広布以前に戒壇を建てるとすれば、必ず宗門に謗法与同の不純、謗法同座の席敗がおこる。
見よ、昭和四十四年五月、大石寺より日興上人の御影像を持ち出し、身延等の邪宗日蓮宗と共に開いた「聖人展」を。また同年八月、全日本の邪宗が集り開いた「世界連邦身延大会」に公明党が参加を申し入れ、あるいは学会が立正佼成会・PL教等と停戦協定・平和協定を結んだ等の謗法与同は、まさにこの証拠ではないか。
また正本堂には、あろうことかキリスト教神父が招かれている。これこそ何よりの謗法同座の現証ではないか。
また池田大作は正本堂落成直後の本部総会で次のように述べている。「機会があるならば恒久平和実現のために、現にこの地球上で行われている戦争の終えんのために、キリスト教や、イスラム教や、仏教など、世界の宗教界の人々と、心から話し合う用意があることを、この席で強く申し上げておきたい」(聖教47・11・3)と。
「破邪・立正・安国」の御聖意をふみにじる、なんたる腐敗、なんたる堕落であろうか。
かかる男が建てた“世界平和の殿堂”なる建物が、この正本堂なのである。まさに「時を待つべきのみ」の御制誡に背くことは、このような腐敗堕落を意味するのである。阿部教学部長、以ていかんとなす。
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