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 --- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---

  第三章 正本堂の誑惑を破す

 四 「事の戒壇」の定義変更による誑惑

   ( 定義変更に用いられた二つの文証

 細井管長・阿部教学部長が定義改変を正当化するために挙げた文証はただ二つである。
                   
 一つは日開上人の御宝蔵説法本。これを細井管長はわざと日開上人の御名を隠したうえで「御相伝」と称し、次のように引用する。
 「
其の本堂(原本は戒壇堂)に安置し奉る大御本尊いま眼前に当山に在すことなれば、此の所即ち是れ本門事の戒壇真の霊山・事の寂光土」(大日蓮50年9月号)と。

 原本の「戒壇堂」をわざわざ「本堂」と改ざんするのも無慚であるが、許されないのは文意の歪曲である。

 日開上人は、戒壇の大御本尊まします所を直ちに「事の戒壇」と仰せられたのではない。第一章ですでに述べたように、この前文には「
事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜わり本門戒壇建立の勝地は当国富士山なる事疑いなし」とある。
 すなわち広宣流布の暁に国立の事の戒壇が建てられることを大前提とし、その事の戒壇に安置し奉るべき戒壇の大御本尊いま眼前にましますゆえに、たとえ未だ事の戒壇は建てられていなくとも、その功徳においては事の戒壇に詣でるのと全く同じであるということを「
此の所即ち是れ本門事の戒壇」と仰せられたのである。
 これが「義理・事の戒壇」すなわち義の戒壇の意である。

 この御意は、三十七代日ぽう上人の御宝蔵説法の「
未だ時至らざれば、直ちに事の戒壇はなけれども、此の戒壇の御本尊ましますことなれば、此の処即ち本門戒壇の霊場にして、真の霊山・事の寂光土と云うものなり」と同一轍である。

 しかるに細井管長は、日開上人の御宝蔵説法の前文をわざと隠す、すなわち御遺命の戒壇を無視した上で、戒壇の大御本尊所住の処を直ちに「事の戒壇」といった。これは、明らかに文意の歪曲である。

 もう一つの文証は、「
最近出てきた」という日相上人の文書である。この文書について細井管長は「日寛上人の御説法を日相上人がお書きになった。これは間違いないんです」という。
 また阿部教学部長も、この日相上人文書が日寛上人の「密意」を伝えるものであるとして「
日相上人の聞書(ききがき)、大弐阿闍梨(日寛上人大学頭時代の呼び名)講の三秘六秘中の戒壇の文にも書かれている」(悪書U)と云っている。
 これではまるで、日相上人が日寛上人の御説法の場に在って書いたように取れるではないか。まして「聞書」とは、聞きながら書く速記録を意味する。
 だが、日相上人は第四十三代の御法主、その御出家は日寛上人の滅後四十四年である。この日相上人が、どうして日寛上人の御説法を聴聞できよう。たばかりもいいかげんにせよといいたい。

 また阿部教学部長は、この文書が日寛上人の「密意」を伝えるごとくいうが、あの用意周到の日寛上人が、どうしてこのような形で大事の御法門を後せにお伝えになるであろうか。寛尊の精美を極めた大事の御法門は、六巻抄および重要御書の文段に尽き、それ以外には絶対にない。ことに畢生の大著といわれる六巻抄に至っては、御遷化の前年に再治を加えられ、その中で「
敢えて未治の本を留むることなかれ」とまで念記されている。その上人が、このような頼りないメモでどうして大事の法義を密伝されようか。

 またもしそれほど重大な文書なら、なぜ今まで誰もその存在を知らず、昭和五十年になって始めて発見されたのであろうか。
 この文書がもし日相上人の直筆だとしても、恐らく日相上人が日寛上人の大学頭時代の御説法本を拝見し、その要旨をメモされたものに過ぎないであろう。「密意」などとたばかってはいけない。

 さて、鬼の首でも取ったように披露した日相上人文書であるが、その内容を拝見すれば

 
本門戒壇 --- 在々処々本尊安置の処は理の戒壇なり
        
--- 富士山、戒壇の御本尊御在所は事の戒(壇)なり

 とあるだけである。この意は、日寛上人が諸々に示し給うた御意と何ら矛盾するものではない。
 すなわち嫡々書写の本尊安置の処を「理の戒壇」とし、広布の暁・富士山に建てられる戒壇の大御本尊御在所の戒壇を「事の戒壇」と示されただけのことである。
                                     
 このように、嫡々書写の所住と国立戒壇とを直ちに相対して、理と事に立て分ける捌(さば)きは、日寛上人の報恩抄文段にも見られる。
 すなわち「
本門の戒壇に事あり、理あり。理は謂く道理なり、また義の戒壇と名づく。謂く、戒壇の本尊を書写してこれを掛け奉る処の山々・寺々・家々は皆これ道理の戒壇なり。次に事の戒壇とは、即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」と。
 日相上人の文意は、この報恩抄文段同一轍である。しかるに故意に文意を歪曲されては、日相上人こそ迷惑なさろう。

 だいいち、このメモの初めにも「
三大秘法とは開すれば六、合すれば三なり」とある。もし戒壇の御本尊の所住が広布以前にも事の戒壇であるとするならば、三大秘法抄・御付嘱状の御遺命は不要となり、日寛上人の御法門の枢要たる三秘六秘も成立しなくなるではないか。



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