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--- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---
第三章 正本堂の誑惑を破す
四 「事の戒壇」の定義変更による誑惑
( 本尊所住の処は「義の戒壇」の明文 )
しかしなお阿部教学部長は“猛々し”く云う。「(日寛上人の著述中に)本門戒檀本尊と名を挙げて、そのおわしますところを義の戒壇と説かせられる文は一か処も存しない。いな、むしろ本門戒壇の本尊の処、義理の戒壇でないことを決し給うている」(悪書T)
さらに云く「本門戒壇の本尊所住の処が、理の戒壇とか義の戒壇とおっしゃってる所は一ヶ所もないと思うんです。寛師のあの厖大の著書の中で、おそらく一ヶ所でもあったら教えていただきたい。まず絶対ないと私は思うんです」(大日蓮49年8月号)と。
では、御要望にしたがって明文を挙げよう。守文の闇者たらずして理を貴ぶ明者たらんことを
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まず法華取要抄文段に云く「義理の戒壇とは、本門の本尊所住の処は即ち是れ義理・事の戒壇に当るなり。経に云く『当に知るべし、是の処は即ち是れ道場』とは是れなり。天台云く『仏其の中に住す、即ち是れ塔の義』等云々。故に当山は本門戒壇の霊地なり」と。
「当山」とは、本門戒壇の大御本尊まします大石寺のことである。この大石寺を「義理の戒壇」と明らかに仰せられているではないか。
また寿量品談義に云く「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、すでに本門戒壇の御本尊存す上は、其の住処は即ち戒壇なり」と。
「事の戒壇は未だ無し」とした上で「其の住処は即ち戒壇」と仰せられるのは、“義理(道理)において事の戒壇”という意である。
なにゆえ義理・事の戒壇に当るのかといえば「本門戒壇の御本尊存す上は」とある。文意全く取要抄文段と同じ。
また依義判文抄に云く「南条抄に云く『教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘し隠し持てり、---
斯かる不思議なる法華経の行者の住処なれば、争か霊山浄土に劣るべき
--−』云々。
応に知るべし、『教主釈尊の一大事の秘法』とは、即ち是れ本門の本尊なり。『日蓮が肉団の胸中』とは、即ち本尊所住の処、これ義の戒壇なり。--−
『斯かる不思議なる法華経の行者の住処』等とは、所修は即ち本門の題目なり、住処と云うきは題目修行の処、即ち義の戒壇なり」と。
「教主釈尊の一大事の秘法」とは、本門戒壇の大御本尊の御事である。ゆえに文底秘沈抄には「『教主釈尊の一大事の秘法』とは、結要付属の正体・蓮祖出世の本懐・三大秘法の随一・本門の本尊の御事なり。是れ則ち釈尊塵点劫以来心中深秘の大法の故に『一大事』と云うなり。然るに三大秘法随一の本門戒壇の本尊は今富士山の下に在り」と、されば「日蓮が肉団の胸中」とは本門戒壇の大御本尊所住の処である。日寛上人はこの処を「これ義の戒壇なり」と明確に仰せられているではないか。
また「斯かる不思議なる法華経の行者の住処」をまた「義の戒壇」とされている。「法華経の行者」とは即日蓬大聖人、そして日蓮大聖人の御当体は即本門戒壇の大御本尊、その「住処」をまた「義の戒壇」と仰せられているではないか。
以上、明文・白義あたかも天日のごとし。阿部教学部長、もっていかんとなす。
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