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        御遺命守護の大闘争の足跡
                              編集部
     一、仏法が曲がれば国が亡ぶ
             立正安国こそ大聖大の御精神


        (
未来も又而るべきか

 大聖人の御精神は立正安国にあられる。即ち正しい仏法を立てて国を安穏ならしむる。そして立正の前提には必ず破邪がある。故に「早く天下の静謐を思わば、須く国中の謗法を断つべし」と。

 当時の民衆が地震、風水害、干魃、飢饉、疫病等の塗炭の苦悩にあえぎながら尚、念仏、真言、禅、律等の邪義に救いを求める様を御覧になり、末法の御本仏として「
破邪・立正・安国」を叫ばれ、更に仏法の道理の上から残るところの二難たる自界叛逆、他国侵逼の難近きこと必定なりと当時の為政者に対して身命を賭して国諌せられたのが立正安国論であります。
 実にこれより起る大難全てこの御建白により、竜の口の巨難の遠因もここにある。

 而して安国論の御予証の自他の二難全て現実となって現われ、仏語の虚しからざること、並びに末法主師親の三徳具備の御本仏の御尊客を一難会うごとに現わされ、弘安二年十月十二日に「立正」の正中の正たる三大秘法の眼目・本門戒壇の大御本尊を御図顕遊ばされ、逆縁の御在世に於ける法体の広宣流布をなされたのである。
 大聖人の御顕し給う三大秘法は日本一国のみならず末法万年、一閻浮提の人々を救うべき大法であることは御金言に明々であるが、その前提に仏法有縁の本国土である根本の妙国たるこの日本に広宣流布、国立戒壇を建立をせよとの御遺命は厳として柄然である。

 弘安五年御入滅の近きに至り「
予年来己心に秘すと雖も此の法門書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し、其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に辣し書き送り侯」と、三大秘法抄を太田金吾殿を代表して後々の門家の御為に三大秘法の詳しき相貌、就中・広宣流布の暁に建立せらるべき事の戒壇を明かされ、更に同年九月、日興上人に一切を御付属せられ「国主此法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ」と、広宣流布の暁に国家的に建立せらるべしとの御遺命を下されたのである。

 最後、武州地上にて立正安国論を御講義遊ばされたこと、実に「
未来も又而るべきか」との仰せの如く、未来・広布の事相の深意・立正安国論にあり、と拝察すべきである。故に日興上人、日目上人を始めとし歴代貌下の申状は、大聖人の御命令のままに破邪立正安国、国立戒壇建立を身命を捨てて国家権力に諌暁せられたのである。これが日蓮正宗七百年の伝統である。

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