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        御遺命守護の大闘争の足跡
                              編集部
     一、仏法が曲がれば国が亡ぶ
             立正安国こそ大聖大の御精神


        (
御在世の信心に還れ

 思うは、「仏法を修行せんには人の言を用うべからず、只仰いで仏の金言をまほるべきなり」、との御聖文である。
 同じき昭和四十五年正月、妙信講の浅井先生は宗門・国家を憂い、「
御在世の信心に還れ」と題して、大聖人の仏法の鏡に照して警鐘を乱打された。

 「
七十年代の十年間が日本にとって如何なる年代になるのか、凡夫に予見は許されずとも、天は既に警鐘を乱打している。知らざるはただ人の罪である。「『仏法は体、世間は影』であれば、仏法の鏡に照らせばまさしく七十年代は波瀾の時代を迎えている。これ『末法濁悪の未来』と仰せ給う時が別々と近づき、一天広布に至る道程として、どうしても通らねばならぬ波瀾の時代に世・出ともに入った如くである。
 今の日本の繁栄は、見せかけの根無し草である。一たび揺げば、人は始めてそのはかなさを知ろう。一国経済は表面順調そうであるが、人心を見れば悉く地獄乃至修羅の四悪道そのものである。さればその上に咲く政治・経済・文化の花も、やがて四悪道の果を現じ苦報をもたらすに違いない。『
如是本末究竟等』とはこれである。
 乃至、日本はいま大きな曲り角に立っている。敗戦以来廿五年、敗れた故に許されていた経済一辺倒の安逸が大きく揺ぎ始めている。まさに七十年代こそ日本の運命の決する年代、と云っても過言ではなかろう。若し御本仏の残し給う三大秘法を一国挙げて如法に尊崇せねば、謗法の罪禍の積る所・深刻な自界叛逆も虚言ではなくなろう。兆(しるし)は徐々に、現れつつあるではないか。『
未来亦然るべきか』、の聖語は重い。
 いま、胸に強く感ずる事は只一つ。唯一の正系門流たる、日蓮正宗・宗門人の責任である。日本の運命は、唯・日蓮正宗にかかっているのだ。今こそ御法主上人猊下を仰いで、
僧俗共に大聖人御在世の信心に立ち還らねばならぬ」と。

 妙信講の御遣命守護の斗いは、只々大聖人の御金言・日興上人並びに先師上人の御指南のまま、法のため国のため、又純信なる学会員のためである。
 凡そ立正安国論の御精神は、正法を持って国家を安穏ならしむるにあることは明々白々であり一国傾かんとする時、正法をもって諌めるべきが大聖人の弟子の立場である。而るに自から大衆に阿諛し、仏法を曲げては国は亡びざるを得ない。
 ここに妙信講が、たとえ講中潰されるとも「
法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遺し挙処せずんば、当に知るべし・是の人は仏法の中の怨なり」、「寧ろ身命を喪うとも、教を匿さざれ」との御金言のまま、捨身不退の決意をもって御遺命守護に立つ所以がある。

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