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御遺命守護の大闘争の足跡
編集部
三、学会も曾っては国立戒壇の正論を唱う
( 勅宣並に御教書 )
更にこの号の中で、三大秘法抄の解説には
「【勅宣並に御教書】 勅宣とは天王(ママ)の詔書、御教書とは鎌倉時代の幕府の命令書であり、現在の国家の姿からみればとうぜん国会の議決によって公布されるものと考えられる。
【時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり】 「事の戒法」とは、天台の迹門の戒壇に対して大聖人の本門の戒壇を意味するのである。しかしてこの本門の戒壇に事と義がある。
事の戒壇とは、本文におおせのとおりの姿において、富士山に本門の本尊、すなわち弘安二年十月十二日ご建立の、本門戒壇大御本尊が安置されるところ、すなわち国立戒壇であり、義の戒壇とは、本門の本尊の安置されるところすべて義の戒壇である。
「時を待つ可きのみ」とは、大聖人出世のご本懐は本門の本尊(本門戒壇の大御本尊)ご建立にあらせられ、事の戒壇を未来に残された。いまや「時を待つ可きのみ」の御金言は「時来れり」の現実の姿となったのである。いまこそ国立戒壇建立の大偉業を成就しなければならない時である」
いずれも未だ、国立戒壇は歪曲されていない。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
)
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