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御遺命守護の大闘争の足跡
編集部
四、凄まじき歪曲の実体
( 「富士日興人詳伝」も改竄 )
而して御遺命の正義たる国立戒壇は、昭和四十五年五月三日より禁句となって消え去った。
それは昭和四十五年四月に言論問題に端を発し、時の政府より国立戒壇について見解を求める照会に対し、学会は「正本堂こそ、それに替わるべきものである」旨の偽り回答をなし、政府に対し国立戒壇を否定し欺いたのである。
これを正当化せん為・同五月三日猊下をして、国立戒壇否定の宣言をなさしめたのである。以来これを公式決定となし宗内言論統制の最大の武器としてきたのである。
そして最近に至っては、曾って「国立戒壇」を言ったことが否定できないとみるや、布教の手段として変わるのは当然であると喧伝し、既に「御遺命達成」「広宣流布達成」といいながら、「第一章は終り第二章の出発」とカメレオンの如く変転している。一体「国立戒壇」は、布教の手段なのか。曾って自から大聖人の唯一の御遺命、宗門七百年の宿願と述べ、「創価学会唯一の大目的」と断言しているではないか。
堀日亨上人著 「富士日興人詳伝」も改悪
しかも驚くべきことは、国立戒壇の否定は単なる禁句でなく、先師上人の御著述にまで改変されているのである。それは堀日亨上人御著述の、「富士日興上人詳伝」である。この書の原本は昭和三十八年十月に、池田大作が出版願主となって発刊されたものである。堀上人が御晩年に心血をそそがれ研究され、令法久住のため御著述された貴重な書である。
しかし最近出版された同書の聖教文庫は、何と五ヶ所に亘って国立戒壇の文字乃至意義は削除又は改変されているのである。これこそ、先師に対する最大の冒涜でなくして何であろう。恐らくは今後の学会の出版物は、曾っての軍政下の検閲の如く全て改窺されて出ることは疑う余地もない。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
)
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