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御遺命守護の大闘争の足跡
編集部
七、国立戒壇が宗門の公論となり
勝利の日まで…………
( 仏法と申すは道理なり )
そこに昨年「転換期」の年として、来たるべき本格的御奉公のため、師匠は自ら巨額の私財を投じて本部会館を建立せられたのである。
感涙の中で落慶御入仏式に、浅井先生は 「思えば再建以来十六年、妙信講には城もなく、山に寝、野に伏して斗ってきた。だが本日この本部会館に、大御本尊がお出ましになった。この法城は天魔も砕けぬ法城であります。……本日御出ましの御本尊こそ妙信講有縁、十万達成一国諌暁を祈念し奉る御本尊であります……これからの日本の崩壊をくい止めるの術は、大聖人様の三大秘法・国立戒壇以外にない。だが誰が一国を諌めるのか、誰が曲げず諂わず国立戒壇を叫べるか。…この御本尊の御前に、ただただ身を捨てて斗わんのみ」と。
又、「この法城を根城に、遙かに戒壇の大御本尊様と血脈付法の猊座の尊厳を御守り申し上げる」と指導された。
本年五月よりの「徹底してその悪を根を断つ」との本格的御遺命守護の御奉公は、遂にこの十月に入ってその悪の全貌が現われて来たのである。
妙信講は池田大作が阿諛の宗務院と共に、仮え猊下の御名をもって御本意ならざる解散・除名の宣告の奸策を弄しようとも、更に国法の落し穴によって壊滅せんとするも、又妙信講の命とも云うべき本部会館の御本尊にまで魔手をのばさんとしても、断固粉砕し益々鉄石の団結を強めるのみである。
「仏法と申すは道理なり、道理と申すは主に勝つことなり」と。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
)
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